はじめに
私は、ドストエフスキーに関するウェブサイトを開設するにあたって、ある種のとまどいを覚えている。それはほかでもない。ドストエフスキーのサイトを始めたいと感じているものの、それがたいしたことないと、自分自身が十分承知しているからである。例えばこんな類の質問が出てくるかもしれない。
あなたがこれから作るドストエフスキーのサイトは、いったいどこが優れているのか。これまでに無いどんな特徴があるのか。どんなことで知られると期待できるのか。どういった人たちに知られると思っているのか。自分がなぜこんなサイトに時間をつぶさないといけないのか。
ただし、なかでも最後の質問は致命的・・・とか思っているわけでもない。どこかの文豪のように「見ていただければわかる」とは書いてもいいのだが。このサイトはあくまで自分の関心事項を書きたいから書くわけであり、他人に役立つことを一義的に考えているわけでない。一人のドストエフスキー好きとして、この作家の作品等に対する気ままな感想を書くつもりであり、またこの作家に関連する様々な情報である。もしかしたら後者は他の人にとっても有用になる可能性もあろう。
再度述べればここでの記述は素人の読書好きの一感想であり、例えばドストエフスキーの研究をしている人はもちろん、たくさんの評論等を読んでいる人から見たら、まとはずれや足りないところが多々あると思われる。それでも専門的な研究等を調べて、ただそれに従うより、自分自身の読み方をしていきたいと思っているのである。ある有名な文豪がキリストについて述べた言い方を借りれば、
たとえそれが標準的ないし「正しい」見解と違っているとしても、私はドストエフスキーについての自分自身の感じ方と共にありたい
のである。
自分自身の考えを書くといっても、それは必ずしも「新規で」「独創的な」ことを書こうという意味でない。そんな才能はない。また強調したいのは、既存の標準見解にたてつくことを目的にしているわけでもない(そもそもそれらに無知である)。実際のところ、既にどこにでも言われているような、ありふれたことしか書けないのであろう。人間が考えることは誰でも同じようなものと思っている。これまで書かれたことを紹介、引用するにあたっては、できるだけその情報源を明記したいと思っている。参照元が不明の引用は価値が極めて低いからである。
ドストエフスキーについてはこれまで山ほど評論や研究がある。それらの知識がある向きからみれば、ここで書くことは素朴すぎ、あるいはおかしなところがあるであろう。既に確立された標準的な見解、理解が、例えば中世カトリックの強固な組織や公式見解なみにあるのであろう。それらの大部分に無知な者が、自由な意見を述べたいと考えるのである。そんなことを言えば権威ある大「評論」官から
自由な意見だと。そんなものを人々が欲しがっていると思うのか。
と言われるであろう。どこかの挿話にある、中世に降臨したキリストでもないし既存の見解と違っていても深刻な話にならないだろう。単に意見の相違か、私の無知の反映を表わしているに過ぎない。
いずれにせよ、このサイトの目的は標準的とされる見解を載せてそれで他人の役に立てようとかの類でない。だから結果としてみてもらった人が、何か得るところがあれば望外と言うべきであろう。読んでくれる人はドストエフスキー好きであろうから「同好の士」にこんな者がいると知ってもらうくらいが、人に期待することである。
以上のような贅言は、全く言わずもがなの類である。こうして御託を並べ、むざむざ貴重な時間を費やしたのは、まず第一に読んでくれる人への礼儀になるかもしれないと考えたからであり、第二にこれで手をうっておいたという、保身的な考えからきているのである。
はしがきはこれでおしまいである。こんなものを余分だという意見はもっともだが、せっかく書いてしまったので残しておく。ではさっそく本文にとりかかろう。
はじめにの追加
本サイトの作成は平成十年代後半以降であり、今から10年以上前になる。まだ個人でホームページを結構作っていた時代である。個々の副サイトを書いて、それらが十分でないからそのままになっていた。しかし数年前に、これではいつまで経っても公表できない。不完全ながらあるものだけ公表する。おいおい改善、追加していくという方針で公表にした。
今になって「はじめに」を読み返すと、作品等について自分の意見表明をしたく述べている。実際にはドストエフスキー著作等に関する情報の提供が主になっている。もちろん自分の意見、解釈も書いてある。ただ他人の意見よりも、閲覧してくれる人にとっては客観的な情報が有用であろうと思い、そちらに意を用いている。
本サイトの特徴を述べると、主要な小説については多くの解説がインターネット上あるので、創作以外の著作の説明、及び古い(といっても閲覧可能な)出版物の情報提供か。
そこで特に書いておきたい事柄がある。インターネットを見ていると様々な情報が入手でき役に立つ場合が多い。ただその一方で誰の確認、検閲も受けなくて載せられるため、かなりの間違った情報が氾濫しているのも周知であろう。不確かな情報を確認せず載せたり、勘違い、思い込みなどが要因であろう。
これはサイトを作っている自分にとって他人事ではない。
正直かなり経ってから間違いに気が付き直したところもある。記憶で書いていたところで、元の資料が確認できず削除した例もある。不注意による間違いなら後で気づくと期待できるが、自分の思い込みは確信犯なのでわからない。
本サイトは掲示板を設けていない。自分に管理する能力がないためだが、正直間違いを指摘してもらうためにはあった方がいいと勝手な思いをしている。
本サイトの閲覧者は間違いがあり得ると思ってもらいたい。
さて本サイトは無料サーバーで公表してきたが、そのサーバーが終了し、元号も令和と変わった本年よりXserverに移行した。今までその無料サーバー上で公開されてきたHPはもはや見られない。本サイトを作り始めた頃、あったHPで無くなっているものがある。制作者が意図的に削除したのではなく、サーバー等の都合で自然消滅してしまったものがあるように思う。
サーバーを移行し、元号も変わったので改めて「はじめに」の追記を書いた。
最後に十年以上前、ドストエフスキーのサイトを作りたく思わせた他サイトとして「本嫌いさんの読書感想文」と、無名氏による『未成年』の感想を主としたサイトを挙げたく思う。後者は当方の以前のサイトと同じサーバーであり、今ではなくなっているので残念。
(追加の追加)
上記「読書嫌いさんの読書感想文」へ以前はリンクを貼っておいたのだが、出てこない。今はなくなっているようだ。これをドストエフスキー生誕200年の年に知って驚いた。もうこのサイトがないと知り本当にがっかりした。多分諸般の事情でサイトを続けられなくなったのだろう。
井伏鱒二の訳で知られる「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」(咲き誇る花も嵐で散ってしまうように、世の中永遠に続くものはない)の詩を思い出した。
先達を失って残念な限りだが、本サイトはできるだけ続けたいと思っている。
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