「古典篇1」第1巻

高津春繁篇
昭和40年11月20日、第15回配本
494頁 内容:


 『アラビアン=ナイト』では、シンドバッド、アリババ、空飛ぶじゅうたん、アラジンのランプなど14の話が収められている。
 『ワイナモイネン物語』はフィンランドの叙事詩『カレワラ』の主人公。
 『ギリシア神話』は花物語のほか、六つの話を載せている。
 『ホメーロス物語』は、イーリアス、オデュッセイアに加え、その前話(パリスの審判)や、間をつなぐトロイの木馬等もあって、全体像がわかり最初に読むのに適している。

原作の完訳本:
『千夜一夜物語』は、東洋文庫の原典からの訳のほか、普及に役立った英仏訳のバートン版やマルドリュス版がちくま文庫や岩波文庫で読める。
『カレワラ』は、岩波文庫、講談社学術文庫。
『ギリシア神話』は、長く欧米で読まれてきたオウィデウスの『変身物語』が岩波文庫にある。
『イーリアス』『オデュッセイア』は岩波文庫にある。

表紙絵:
ミケランジェロ『聖家族』

読書のことば:
読書は、人間をゆたかにし、会議は、人間を役立つように、物を書くことは、人間を正確にする。(ベーコン)

月報:
「思い出の読書」、円地文子
「ギリシア神話と星座」、小林悦子
「森と湖の国フィンランド」、小出正吾
「空想と冒険の物語 アラビアン・ナイト」、大場正史

「古典篇2」第2巻

阿部知二篇
昭和42年6月20日、第34回配本
498頁 内容:


 『聖書物語』は、旧約、新約とも収められている。ルーンの再話から。
 『イソップ寓話』は言うまでもない。
 『ニーベルンゲンの歌』はクリームヒルトの復讐譚を含む全体の話。
 『ローランの歌』は、
 『きつね物語』は、有名な狐ルナールの冒険。
 『中世騎士物語』は、アーサー王と円卓の騎士の物語

原作の完訳本:
『聖書』は、協会訳が標準であろうが、その他の翻訳も出ている。
『イソップ寓話』は、岩波文庫ほか。
『ニーベルンゲンの歌』も岩波文庫。
『ローランの歌』はちくま文庫にある。『狐物語』もちくま文庫に併収。
『中世騎士物語』は、マロリーの『アーサー王の死』を挙げるべきだろう。ちくま文庫にある。

表紙絵:
仏シャルトルのステンドグラス

読書のことば:
本を読みたいという熱心な読者と、読む本がほしいというたいくつした読者の間には、たいへんな違いがある。(チェスタートン)

月報:
「うらやましい今の少年少女」、寿岳文章
「欧米文化の生みの親キリスト教」、村岡花子
「騎士道三つのほまれ」、岡田章雄
「イソップこぼれ話」、后藤有一


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「イギリス篇1」第3巻

白川渥篇
昭和42年5月20日、第33回配本
494頁 内容:


 『ガリバー旅行記』は、小人国、巨人国の再話である。
 『ウェスト=ポーリー探検記』は知らなかった。あの『テス』等で有名なトマス・ハーディの唯一の少年小説である。死後20以上経ってから発見されたそうである。
 友人と一緒に村はずれの洞窟に入りそこで見つけた川の流れを変える。それが村中に騒ぎを引き起こすという物語である。
 『トム=ジョーンズ物語』は長編の教養小説をまとめたもの。
 『マザーグース』や『ロビンソン=クルーソー』については、言うまでもないだろう。

原作の完訳本:
ガリヴァーやロビンソンについては翻訳多数。
『ウェスト=ポーリー探検記』は、『水源の秘密―ウェストポーリー探検記』という題で論創社から出ている。
『マザーグース』は、講談社文庫から出ている。
『トム=ジョーンズ物語』は岩波文庫から。

表紙絵:
ワトー『生のよろこび』

読書のことば:
ゆっくり読むこと、これはあらゆる読書に適用される技術である。ゆっくり読んでいられない本があるかも知れぬ。しかしそれは読む必要のない書物だ。(フラア)

月報:
「びわの実文庫」、坪田譲治
町ぐるみの読書運動
スウィフトとデフォーのこぼれ話
「ボンファイアの思い出 イギリスの子どもたち」、桑原三郎

「イギリス篇2」第4巻

中野好夫篇
昭和41年11月20日、第27回配本
498頁 内容:


 『シェークスピア物語』は、「ハムレット」「ベニスの商人」「リア王」「マクベス」「あらし」「真夏の夜の夢」「冬物語」が収められている。「冬物語の収録は少し珍しいのではないか。
 『黄金の川の王さま』は『ごまとゆり』その他で有名な美術評論家が書いた唯一の童話。三人兄弟の弟が活躍する。
 『トム=ブラウンの学校生活』は学園ものの古典。
 『クリスマス=カロル』はいうまでもないだろう。
 『オリバー=ツイスト』は、孤児オリバーを主人公にしたいかにもディケンズ的小説。個人的に思い入れの深い作品。これによって文学にめざめる一つのきっかけになった小説だからだ。

原作の完訳本:
シェイクスピアの原作の訳は山とあるが、ラム姉弟の『物語』は岩波文庫など。
『黄金の川の王さま』は、妖精文庫という所から最近訳が出ているが完訳かどうか不明。
『トム=ブラウンの学校生活』は、岩波文庫から出ている。
ブレイクとバイロンの詩は岩波文庫から対訳シリースで出ている。
『ばらと指輪』は研究者の英米児童文学選書というシリーズで出ているようだ。
『クリスマス・キャロル』『オリヴァー・トゥイスト』とも翻訳多数。

表紙絵:
レンブラント『テイトイウスの肖像』

読書のことば:
読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る避難所ができることである。(モーム)

月報:
「少年少女と読書」、武者小路実篤
訪問図書館"ひかり号"
ジョージ・ゴードン・バイロン チャールズ・ラム こぼればなし
「イギリスの子どもとシェークスピア劇」、落合聰三郎

「イギリス篇3」第5巻

酒井朝彦篇
昭和43年5月20日、第45回配本
498頁 内容:


 『名犬クルーソー』は、
 『水の子トム』は
 『ジェイン=エア』は、孤児ジェインが家庭教師として働き(当時の若い女性のまともな唯一の職業)、苦労の末、幸福を手に入れる。これの二十世紀版が『レベッカ』である。
 『サイラス=マーナー』は
 『ポンペイ最後の日』は、古代ポンペイ最後の日々を背景にした歴史冒険小説。いかにも十九世紀的な作品。昔の児童向き文学全集によく収録されていたものだ。

原作の完訳本:
『ジェイン・エア』は各種文庫に。
『サイラス=マーナー』は岩波文庫。

表紙絵:
作者不詳『若い王女の肖像』

読書のことば:
いちばんためになる本とは、いちばん考えさせる本である。(パーカー)
人は、あまりに早く読むか、あまりにゆっくり読めば、なにごとも理解しない。(パスカル)

「イギリス篇4」第6巻

本多顕彰篇
昭和40年3月20日、第7回配本
494頁 内容:


 この巻に収められている作品はいずれも有名なものばかりで説明の必要もなかろう。

原作の完訳本:
ロビンフッドの「原典」、あるいはそれに相応しい古典とかあるのだろうか。岩波新書で『ロビン・フッド物語』という「有益」な本が出ているようだが、そもそも一番詳しい原書は何だろうか。
『フランダースの犬』は、新潮文庫で村岡花子の訳が出ている。
『不思議の国のアリス』は、翻訳多数。
『黒馬物語』は昔岩波文庫で出ていたようだ。現在の本で完訳があるかどうか不明。

表紙絵:
セザンヌ『青い花びん』

読書のことば:
まず、いちばん良い本を読め、でないと、ぜんぜんそれを読む機会がないかもしれないから(ソーロー)

月報:
「わたしと『ふしぎの国のアリス」羽仁進
「イギリスの子どもたちの本」落合聰三郎
キャロル、シュウエルこぼれ話
「忠実な家畜たち」古賀忠道

「イギリス篇5」第7巻

荒正人篇
昭和40年9月20日、第13回配本
494頁 内容:


 『宝島』『ジキル博士とハイド氏』は、いうまでもなくスティーヴンソンの代表作であるばかりでなく、世界文学の中でも最もよく読まれている小説の一であろう。
 『幸福な王子』はワイルドの作品では一番有名であろう。他に『ドリアン・グレイの肖像』とか戯曲など一般的に斜に構えた感じの印象がある。こういう童話が本心だったかもしれない。

 『キップリング短篇』では「リッキ・テッキのおてがら」「カラ・ナッグと少年トーマイ」が入っている。
 『ジャングル・ブック』は、狼に育てられた少年モーグリの話。後の「ターザン」や年配者に懐かしい「少年ケニヤ」(山川惣治)に影響を与えたのであろう。

原作の完訳本:
スティーヴンソンの二作は翻訳多数。
『幸福な王子』は、新潮文庫。
『キップリング短篇』は、岩波文庫に「キプリング短篇集」があるが、ここに収められた話は載っていないようだ。
『ジャングル・ブック』は文春文庫など。

表紙絵:
フラゴナール『ピエロの服を着た少年』

読書のことば:
芸術家は人生を愛し、その美しさをわれわれに示さなければならぬ。世に芸術家というものがなかったら、われわれは、人生の美しさをとうていほんとうに知らないであろう。(アナトール・フランス)

月報:
「わたしの夢を少年に」、鬼沢清治
「ロンドンの子どもたち」、新川和江
スチーブンソン ワイルド キップリング こぼれ話
「モーグリ少年の仲間 おおかみに育てられた子どもたち」、黒沼健

「イギリス篇6」第8巻

田中西二郎篇
昭和41年4月20日、第20回配本
494頁 内容:


 『ソロモンの洞窟』は、秘境への冒険譚の古典。続編の『洞窟の女王(She)』も傑作。
 『ボートの三人男』は想い出深い。この巻は子供の時、発売された際に読んだのだが、とりわけ面白いと思った記憶がある。テムズ川をボートで下る三人男の珍道中。

 『シャーロック=ホームズの冒険』は「盗まれた秘密設計図」「焼けあとの死体」「ふしぎな遺言」「ぶな屋敷の秘密」「盗まれた試験問題」が入っている。
「盗まれた秘密設計図」は「ブルースパーティントン設計書」、「焼けあとの死体」は「ノーウッドの建築業者」、「ふしぎな遺言」は「三人ガリデブ」、「盗まれた試験問題」は「三人の学生」である。
「まだらの紐」や「赤毛組合」のような有名作を入れていないところが良い。ホームズ物は子供のときから各本で読んでいた。ここに入っている諸作品は初めてのものばかりで良かったと思った。

 『失われた世界』は、恐竜が秘境に住んでいるという、後の空想科学映画に多くの影響を与えた。

原作の完訳本:
『ソロモンの洞窟』は、創元推理文庫。
『ボートの三人男』は、中公文庫。
シャーロック=ホームズ者は翻訳多数。
『失われた世界』は創元文庫など。

表紙絵:
ゲインズバロ『青衣の少年』

読書のことば:
定評ある古典から始めよ。現代作品は避けられねばならぬ。なぜ避けねばならぬかといえば、その理由は、きみがまだ現代作品のなかから、選択しうるほどになっていないからだ。(ベネット)

月報:
「少年時代に読んだ本」、林髞
「イギリス人かたぎ」、長沼弘毅
「埋もれた日本の財宝の秘密」、川崎竹一
「人間とサルを結ぶ動物・・・? ミッシング・リングのなぞ」、佐倉朔

「イギリス編7」第9巻

伊藤整編
昭和42年12月20日、第40回配本
497頁
内容:


 ディズニーの漫画映画やミュージカルでお馴染みの『ピーターパン』の原作にあたるもの、即ち『ピーターとウェンディ』という続編の訳である。前篇は『ケンジントン公園のピーターパン』。前篇は有名度でかなり劣り、実際読んで面白いのはここでも訳されている「ピーターパンとウェンディ」かもしれないが、2つの話があることを覚えておいて悪くない。

 いずれにせよこの話は大人が読むとちょっと素直に読めない。別に童心を失っているからという意味でなく、ピーターのやることとか、話の構成とか「心理学的分析」を要請させてしまうからだ。あるいはイギリスの話なので素直でないのか。

 『ラプラタの博物学者』は『はるかな国とおい昔』でも有名な、アルゼンチン育ちのハドソンが書いた同国の動植物の生態誌からの抄訳。

 『人形の家』は、精巧な作りの玩具の家を買ってもらい友達に見せびらかしている姉妹と、白眼視されている同級生を描いた短編。イプセン原作の有名な戯曲ではない。

 『やみとぬう男』(原題は灰色の男)は、『紅はこべ』で有名なオルツィ男爵夫人の作。やはりフランスの革命後を背景とした冒険譚で、灰色服の密偵フェルナンが王党派と戦う幾つかの話から成っている。

 『イノック=アーデン』は、同名の主人公が海に出て難破し長い間帰郷できなかったため、妻は死んだと思い友人と再婚してしまう、それを知った主人公は・・・という物語の詩である。

 『透明人間』、ウェルズの代表作は幾つかあるが、本全集ではこれが選ばれている。透明になる薬を発明したが、それによって悪事を企むようになった科学者を描いている。

原作の完訳本:
『ピーターパン』「ピーターパンとウェンディ」は角川文庫など。「ケンジントン公園のピーターパン」は「ピーターパン」新潮文庫(本多顕彰訳)など。
『ラ・プラタの博物学者』講談社学術文庫など
『人形の家』岩波文庫など

『やみをぬう男』戦前、改造社から出ていた世界大衆文学全集の49巻に『闇を縫ふ男』という翻訳があるが、この全集は抄訳が多いので、これが完訳か保証の限りでない。戦後はこの作家は専ら『紅はこべ』『隅の老人事件簿』ばかり訳されるようになったようだ。
『イノック・アーデン』岩波文庫
『透明人間』岩波文庫など

表紙絵:
シャルダン「羽根遊びの少女」

読書のことば:
わたしが人生を知ったのは、人と接触した結果でなく、本と接触した結果である。(アナトール・フランス)

月報:
「子どもの読書」、岡田要
「現代S・Fの父ウェルズ」、白木茂
「愛の博物学者ハドソン」、津田正夫
「ロンドンあれこれ」、葛谷荒太郎

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「アメリカ編1」第10巻

川端康成編
昭和41年7月20日、第23回配本
502頁
内容:

 『リップ=バン=ウィンクル』は、西洋版浦島太郎として名高い。
 『白鯨』は白鯨モゥビ・ディクを追うエイハヴ船長執念の物語。米文学の中でも評価の高い傑作。
 『ホーソン短編集』には「人面の大岩」「やさしい少年」「ディビッド・スーウォン」の三篇が入っている。
 『アンクル=トムの小屋』は黒人奴隷制度を批判した古典。この作品も児童文学全集の定番だったが、今どの位読まれているのだろう。

  原作の完訳本:
『リップ=バン=ウィンクル』は「スケッチブック」の一として岩波文庫。
『白鯨』岩波文庫等。
『ホーソーン短篇小説集』として岩波文庫から出ている。
『アンクル=トムの小屋』は旺文社文庫の2冊本を持っているが絶版だし、その後明石書店から出された本も品切れの模様。

原作の映画化:
『白鯨』は、グレゴリー・ペック主演、ジョン・ヒューストン監督の米映画が有名。

表紙絵:
モネ「すいれん」

読書のことば:
われわれ作家の任務は、人間の魂をより高める作品を書くことであり、現代の人びとに真に値する文学を提供することにある。

月報:
「こころざし」、西堀栄三郎
「アメリカの子どもと図書館」、村岡花子
「黒人どれいとストウ夫人」、大久保康雄
ハリエット・ストウ夫人 ナサニエル・ホーソン かくれたはなし
「捕鯨の今と昔」、岡崎義郎

「アメリカ編2」第11巻

松本恵子編
昭和40年1月20日、第5回配本
493頁
内容:

 『若草物語』と『怪傑ゾロ』という2長編に加え、ポーの代表的な短編2編である。『若草物語』はいわゆる第1巻の再話である。
 『怪傑ゾロ』が入っている点に時代を感じさせる。この頃(か少し前)テレビでアメリカ製ドラマ「怪傑ゾロ」を放映しており、それの影響であろう。この当時に出された他の少年少女向き文学全集で、「ゾロ」を収録してあったものはなかったのではないか。ともかくこのゾロが入っているので、この巻の魅力は増大した。またこの巻のゾロで、訳者前書きの最後に「原作に多少の筆を加えて、おもしろいうえにもおもしろくしたことをおことわりいたします。」となっている。今なら考えられない。古きよき時代である。

  ポーの短編は個人的には極めて懐かしい。ただし乱歩訳と称していた講談社の名作全集や少年少女文学全集の方で親しんだので、こちらはそれほどでない。探偵作家で、かつ児童向き再話で乱歩名義となっている訳の幾つかの実際の執筆者である氷川瓏が訳文を書いている。

原作の完訳本:
『若草物語』角川文庫、他
『怪傑ゾロ』創元推理文庫、角川文庫等。
『黄金虫』『盗まれた手紙』集英社文庫、岩波文庫、新潮文庫等

原作の映画化:
『若草物語』
 クラシック映画ファンなら、この作品の映画化といえばまず戦前1933年のジョージ・キューカー監督キャサリン・ヘップバーン主演の映画を思い出すかもしれない。
 しかしわが国の映画ファンに記憶を残したのは、戦後1949年の総天然色版『若草物語』、ジューン・アリスンが主演の映画ではなかろうか。冒頭でジョーンが柵を飛び越えようとして失敗してやり直すやつである。姉妹の順が原作と替わっていて三女のベスは末っ子になり、子役として人気があったマーガレット・オブライエンが演じている。大女優リズ・テイラーはエミリー役で映画では一番目立たない役。長女のメグは美人女優だったジャネット・リーが演じている。
 1994年のウィノナ・ライダーその他による映画は観ていない。

  ところで邦画で昭和39年製作の『若草物語』、吉永小百合、芦川いづみ、浅丘ルリ子、和泉雅子の姉妹による映画がある。これはオルコットの原作の映画化ではない。四人姉妹が出てくるので題だけ借りたのだろうか。
 あと戦前の原節子の映画で昭和15年製作の『姉妹の約束』(山本薩夫監督)という映画がある。これは題名が違うが、『若草物語』の映画化である。知らないで観てすぐに気がついた。

『怪傑ゾロ』
 これはなんといってもダグラス・フェアバンクス主演の『奇傑ゾロ』(1920)が古典。もっとも今の普通の映画ファンならバンデラス、ゼタ・ジョーンズの『マスク・オブ・ゾロ』(1998)か。他にも何度も映画化はされている。アラン・ドロンの映画もあった。
 アメリカ製テレビ映画「怪傑ゾロ」が刊行当時の日本のテレビでも放映されていたのは前に書いたとおり。

表紙絵:
ドガ「星(エトワール)」

読書のことば:
巧みに書かれたものは、読む人をすこしもあかせない。文体−これこそ生命だ。これこそ、思想にとって血液そのものである。(フロベール)
鏡を見るは、形をつくるためなり、書を読むは身をおさめるためなり。(三浦梅園)

月報:
「わたしと『若草物語』」大浜英子
「アメリカの子どもたち」川上繁
オルコット、ポー こばれ話
「ただいま二十分間読書ちゅう」指方竜二
北欧編1・読書感想文「教材として活用」、宮元重司

「アメリカ編3」第12巻

谷崎精二編
昭和40年6月20日、第10回配本
493頁
内容:

 『トム=ソーヤーの冒険』より、ヘミングウェイが持ち上げたことによって『ハックルベリー・フィン』を評価する風潮があるが、個人的には本全集で親しんだトム・ソーヤーの方が好きである。
 『王子とこじき』これもトムソーヤーと同様定番であった。最近はそれほど読まれているか。もしかつてほどでないなら、乞食とか王の善政とか現代の我々に縁遠くなっているせいか。
『はねがえる』はたわいのない賭け事のペテン話なのであるが、一度読んだら忘れられない。
 『リーマスおじさん』は黒人の召使リーマスが子供に聞かせた話を集めたもの。七つの話が収められている。

原作の完訳本:
『トム・ソーヤー』は翻訳多数。
『王子と乞食』は角川文庫等。
『はねがえる』は新潮文庫等
『スマイリーおじさん』は現在出ている本が見つからなかった。

原作の映画化:

表紙絵:
ユトリロ「サクレ=キュール寺院」

読書のことば:
談話は、気のきく人を、記述は、たしかな人を、そして、読書は、心の豊かな人をつくる。(ベーコン)

月報:
「美しく楽しい世界」、宮崎博史
「近代化するミシシッピ河畔」、ジョン・ヘイリー
マーク・トウェイン、J・Cハリスのかくれた話
「アメリカ黒人の心のふるさと、「語り」の生命」、三橋一夫

「アメリカ編4」第13巻

石坂洋次郎編
昭和41年1月20日、第17回配本
493頁
内容:


 『オズの魔法使い』はアメリカの童話の古典であり、続く物語群によってサーガとなっている。更に当時の米の通貨体制の寓話になっているという説がある。
 『少女パレアナ』は何でも善意に解釈する少女の物語。なおこの作品はポリアンナと表記されることもある。原語はPollyannaで同じ。

 『モヒカン族の最後』は米開拓時代を舞台にしたインディアン、白人ともに活躍する小説。この作品で覚えていることといったら最後にヒロインが命を落とす。女主人公のような存在が死ぬ作品は児童向けにあまりない。だから印象が残っている。
 『ホイットマン詩』は、7編選んである。
 『ケティ物語』はケティを中心とした家庭小説。

原作の完訳本:
『オズの魔法使い』は各種翻訳あり、シリーズとなっている続く物語も訳されている。
『少女パレアナ』は村岡花子訳が角川文庫に、またポリアンナ名義で同じ角川文庫に新訳も出ている。
『モヒカン族の最後』はハヤカワ文庫など。
 ホイットマンの詩は岩波文庫など。
『ケティ物語』は今のところ完訳では読めないようだ。

表紙絵:
スーラ「曲馬」

読書のことば:
作者が、楽しみながら作り上げた作品は、たいていすぐれている。あたかも愛から生まれる、子どもが、もっともすぐれているように。

月報:
「『オズの魔法使い』と私の夢」、手塚治虫
家族ぐるみの読書について
クーパー ホイットマン こぼれ話
「私たちと同祖先? アメリカ・インディアン」、鈴木二郎

「アメリカ編5」第14巻

村岡花子編
昭和39年9月20日、第1回配本
493頁
内容:


 記念すべき本全集の第1回配本である。たしかこの年のベストセラーの一冊になった位売れたらしい。
バーネットの三作を中心に、ホーソンのギリシャ神話に素材をとった短編が収められている。

 『小公子』と『小公女』では後者の方が懐かしい。実は本作を読む前に漫画になった『小公女』を読んでいて話の筋を知っていたこともある。個人的な思い入れがあるかもしれないが、一般的に言っても『小公女』の方が話としても起伏に富んでいると思う。
『小公子』の方は登場人物が善人ばかりである。主人公のセドリックは、いい子でありみんなに好かれる。子供そのものといった感じで描かれる。それに対してセーラ(セアラ、サーラと色々な書き方がある)は逆境の中で成長していく。

このように男の子と女の子が主人公である点で対をなしているのは、『小公子』『小公女』のほか、『家なき子』『家なき娘』(フランス編4所収)がある。これらの話でセドリックやレミは子供であるのに対し、セーラやペリーヌは一人前の大人として描かれている。これは話の内容からいって大人として振舞わざるを得ない状況になっているからともいえるが、やはり女は男に比べ大人というか成長が早いということか。

 『秘密の花園』はこれが一番好きという人が多く、評価も高い。それにしても塀の向こう側の閉ざされた空間というのはなぜか郷愁というか空想を誘う。全然別の話だがウェルズの短編に『くぐり戸』というのがある。またルパンの短編でやはり絵に描かれた閉ざされた庭園が出てくる話がある。『秘密の花園』全体をそれほど好んでいるわけでないが、封印された空間については心に残る。

原作の完訳本:
『小公子』岩波文庫、若松賎子訳による本邦初訳が読める。書き方が面白い!旧かなだが一読の価値あり。
普通の現代語訳では「小公子セドリック」として西村書店から出ている。
『小公女』伊藤整訳、新潮文庫
『秘密の花園』龍口直太郎訳、新潮文庫
『ワンダーブック』岩波少年文庫など

原作の映画化:
『小公子』

表紙絵:
ベラスケス「お付きの人びと」

読書のことば:
科学では、もっとも新しい著作を選んで読みたまえ。文学では、もっとも古いものを読みたまえ。古典の文学はたえず新しいものなのだ。(バルアー・リットン)
読む価値のある書物は、買う価値がある。(ジョン・ラスキン)

月報:
「貴重な本を選ぶということ」浜田廣介
アメリカの学校と家庭
「『小公女』に励まされて」清水慶子
「装丁の苦心」沢田重隆
「『小公子』の中のアメリカとイギリス」別枝達夫
「アメリカ児童文学のはじめ」村岡花子
名作こぼれ話
読書調査(小学生) 読書の度合、読書しない理由
「「まんが」から「読書」へ」松尾弥太郎
感想文募集!!

「アメリカ編6」第15巻

内山賢次編
昭和41年12月20日、第28回配本
498頁
内容:


『赤毛のアン』ほど女の子に共感を持って迎えられた作品はあるのかと思ってしまう。
『動物記』は「おおかみ王ビリー」「英雄犬サンタナ」「旗尾りす物語」「ちび助軍馬」「くま王物語」を含む。
『オー=ヘンリー短編集』は「賢者の贈り物」等7編。
『銀のスケートぐつ』は

原作の完訳本:
『赤毛のアン』は村岡花子訳が有名だが他の翻訳も読める。
『動物記』は集英社文庫など。
『オー=ヘンリー短編集』は新潮文庫など。
『銀のスケートぐつ』は『銀のスケート』として岩波少年文庫。

表紙絵:
ゴヤ「ドン・マニュエル・オソリオ・デ・スーニガの肖像」

読書のことば:
「読書に使っただけの時間を、考えることについやせ。」
「名声の確立した偉大な本は、少なくとも二度読み返さないうちは、読んだことにはならない。」(ベネット)

月報:
「清浄なものに持つあこがれ」、沢田美喜
「生きているアン」、村岡花子
オー・ヘンリー こぼればなし
「さぎ師シートン」、内山賢次

「アメリカ編7」第16巻

西川正身編
昭和42年2月20日、第30回配本
498頁
内容:


『あしながおじさん』は
『あの山越えて』は大昔の映画を思い出す。
『白いきば』、『荒野の呼び声』ともジャック・ロンドンの動物を扱った文学。

原作の完訳本:
『あしながおじさん』は翻訳多数。
『あの山越えて』は
『白いきば』は新潮文庫など。
『荒野の呼び声』は翻訳多数。

表紙絵:
ブラック「ギター演奏家」

読書のことば:
学力を躍進するのは、多読乱読ではなくて、良書を精読することだ。(ルーテル)
書物は、一冊一冊がひとつの世界である。(ワーズワース)

月報:
「子どもと読書」、なだいなだ
「カレッジライフの楽しさ」、鹿討典子
「世界の子どもと本」、弥吉光長
本の話題
「J・ロンドンこぼれ話 非行少年から大作家に」、白木茂

「アメリカ編8」第17巻

西条八十編

昭和42年7月20日、第35回配本
498頁
内容:


『ターザン物語』は昔テレビでもやっていて、それで余計なじみがあった。
『子じか物語』も映画で有名になったのではなかろうか。
『ハート短編集』は、「鉱山町の天使」「酔っぱらいと女の先生」「追放人の最後」が収められている。
『スカラムーシュ』はフランス革命を背景にした冒険活劇小説の一つ。

原作の完訳本:
『ターザン物語』はハヤカワ文庫。
『子じか物語』は「仔鹿物語」という題で光文社古典新訳文庫。
『ハート短編集』は「研究社新訳注双書」というシリーズで出ていたようだが今は品切れ。
『スカラムーシュ』は創元文庫など。

表紙絵:
ピサロ「ルーブシェンヌの道」

読書のことば:
古い本が古典なのではない。第一級の本が古典なのだ。(モンテーニュ)
学力を躍進するのは、多読乱読ではなくて、良書を精読することだ。(ルーテル)(これは第7巻と同じもの)

月報:
「ほんとのおもしろさ」、永井龍男
親子20分読書運動の発祥の地をたずねて(鹿児島)
こばればなし(ゴールドラッシュ、空想好きだったバローズ)
「フロンティアスピリットとは・・・?」、白木茂

「アメリカ編9」第18巻

大久保康雄編
昭和43年8月20日、第48回配本
498頁
内容:

 映画で名高い『ベン=ハー』が最初に収録されている。収録作を『ベン=ハー』に決定するまで経緯があったようだ。実は配本当初のころは『風と共に去りぬ』を予定していたらしい。例えば第3回配本の月報を見ると版権所有の三笠書房と交渉中と書いてある。結局許可は下りなかったようだ。また毎回巻末に全50巻の主な内容一覧が付いているが、そこにはアメリカ編9は『ステラ・ダラス、ロフティング短編他』と書いてある。この巻にも、である。『ステラ・ダラス』も名作映画がある。映画化が有名ということで『ベン=ハー』『風と共に去りぬ』『ステラ・ダラス』は共通している。

  『怪物』を書いたクレインは『赤い武功章』が有名な作家。この『怪物』という短編、完訳は出ていない模様である。作者の意図は人々の偏見を糾弾しようとするものだが、作者やこの配本がされた当時では、意図していなかっただろうが問題のある部分(偏見とみられる部分)が今ではどうしても出てくる。

 『わんぱく少年物語』は南部からニューイングランドの親戚の家にやってきた少年の、友人達との冒険や失敗談など。単にいたずら話だけでなく、無謀な行為による仲間の死などかなり深刻な内容もあり、また大人になってからの回顧であるだけにしみじみとした味わいもある。解説によればこの作品はトウェィンの『トム・ソーヤー』や『ハックルベリー』と並ぶ少年文学の傑作とある。確かに読む価値はある。しかしながら(少なくともわが国では)トウェィンの作品と、知名度では天地の開きがあるのではないか。今では翻訳は出ていないようであるし。

 アメリカ文学短編集の3作品とも作者の名前自体初めて知った。いずれもモーパッサン的というか、オーヘンリー的というか話にひねりをきかせたものである。
『ドリトル先生航海記』
 岩波少年文庫から連作が発売されている。ここでは(多分)一番有名な第2作の『ドリトル先生航海記』が収められている。かなり簡略化されている。挿絵がセンバ太郎で、少年時代にこの人の挿絵を幾つかみていたので懐かしかった。

原作の完訳本:
『ベン・ハー-キリストの物語』松柏社、新潮文庫でも出ているがこれは抄訳。以前は「大人向き」でも抄訳は時々あった。
『ドリトル先生航海記』講談社文庫
クレイン、オールドリッチ、短編集の各作品は完訳らしきものは見つからなかった。

原作の映画化:
『ベン=ハー』
 ワイラー監督(1960)の総天然色版は有名だろう。特に戦車競争の場面。単に『ベン=ハー』といえば原作の小説よりこの映画だろう。1928年製作の無声映画もビデオで見られる。
『ドリトル先生航海記』
 「ドリトル先生不思議な旅」(1967)というミュージカル映画がある。レックス・ハリソンが主演である。その他エディ・マーフィが主演した映画もある。

表紙絵:
カンディンスキー「コンポジションのためのスケッチ」

読書のことば:
じぶんの目をもって読まないかぎり、どんな本を読んだって意味がない。(ヘンリー・ミラー)
あなたに最も役に立つ本は、あなたを考えさせる本である。(パーカー)

月報:
「母と読書」、和田実枝子
「神の奇跡」、関根文之助
本ほんホン(世界最大の著作、世界一の多作家、最もよく売れた本、現存する最古の刊本)

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「フランス編1」第19巻

杉捷夫編
昭和43年1月20日、第41回配本
498頁
内容:

『ガルガンチュワ物語』は全訳で読むよりこうった再話から読み始めたほうがいいのではないか。
『森のめじか』は
メリメは『カルメン』の方が歌劇のせいもあって有名だが、作品としては『コロンバ』が優れている。
『マテオ=ファルコーネ』も一度読んだら忘れない短篇。
『愛の妖精』は
原作の完訳本:
『ガルガンチュワ物語』は岩波文庫。
『愛の妖精』は翻訳多数。

表紙絵:
ダビッド「ブルートウス」

読書のことば:
人類がなしとげた、考えた、獲得したすべてのこと、あるいは、人類が生きてきたすべてのこと、それらはみな、魔法の保存法でも用いたように、いろいろの本の、いろいろなページの中にそっくり横たわってる。(カーライル)

月報:
「少年時代の読書の思い出」、金田一京助
「パリのノミの市」、朝吹登志子
「フランスの離れ島 コルシカ島」、村上菊一郎

「フランス編2」第20巻

河盛好蔵編
昭和39年11月20日、第3回配本
493頁
内容:

 『三銃士』は、なぜ三銃士で三剣士でないのかときかれ答えられなかったことがある。熱血漢ダルタニャンと三銃士アトス、ポルトス、アラミスの冒険活躍を描いたこの物語は永遠に読み継がれてほしい傑作である。特に少年の日に。もし完訳でなければいけないなら、こんな長編は子供のときに読めない。しかし子供の日に再話であってもこの作品に触れることができたら、大人になってから完訳を読んだときより数倍というか比較にならない感激を与えてくれるのではないか。

 『ああ無情』にしてもそうである。この大時代的な訳名!(これは明治時代に黒岩涙香が翻案を出した時の訳名である)元々話自体が大昔なので大時代的でいい。ジャン=バルジャンの半生を描いたこの巨編も感受性豊かな子供の日に接するべきである。大体こんな超人が活躍する話を大人になってから読んでは子供の時ほど感情移入ができないのではないか。

原作の完訳本:
『三銃士』角川文庫、岩波文庫、なおダルタニャンの一連の作品は講談社文庫(20巻)で読める。
『ああ無情』新潮文庫、岩波文庫(いずれも「レ・ミゼラブル」)
『ペロー童話』岩波文庫

原作の映画化:
『三銃士』
 これまで何度も映画化されている。1993年のヘレク監督、クリス・オドネル他のもの。古典としては1921年製作の無声映画、ダグラス・フェアバンクス主演の映画か。

『ああ無情』
 これも何度か映画化されている。原作が非常に長いので映画でどの場面に重点を置くのかの問題が出てくる。ジャン・バルジャンが幼いコゼットを迎えに行くところと市街戦の場面はヤマになる。幾つか観たのだが、あまり記憶に残っていない。最新では1999年のリーアム・ニーソン他があるがこれは観ていない。

 ところで『ああ無情』の日本版映画がある。「巨人伝」(昭和13年)といい、伊丹万作監督、大河内伝次郎、原節子が演じている。原節子がコゼット役なのである。特に出来のいい映画という記憶はないが話のネタに一見してもいいだろう。

表紙絵:
エドワルド・マネ「笛を吹く少年」

読書のことば:
ほんの一時間も書物を読めば、どんな悲しみも忘れてしまうので、人生の不愉快な物事に対して、わたしには、読書というものが実に可能の霊薬であった。(モンテスキュー)
友だちを選ぶように、著者を選べ(ロスコマン)

月報:
「少女時代の読書の思い出」壷井栄
「フランスの子どもたち」角田房子
大デュマ、ユゴー、ペロー こばればなし
「テレビっ子と読書」阪本一郎

「フランス編3」第21巻

佐藤正彰編
昭和41年2月20日、第18回配本
494頁
内容:

『巌窟王』は「モンテ・クリスト伯」の再話、大人になって読んだ完訳よりこの訳の方が感銘深い。小松崎茂の挿絵はよく覚えていた。
『学問のあるろばの話』は
『いなか医者』、『あら皮』はバルザック
『モーパッサン短篇』は「シモンのパパ」「山小屋」「首飾り」を収録。
『ミュッセ詩』は五篇の詩。
『リラダン短篇』は「にせかみなり」「白い象」を収録。
『風車小屋だより』は、三篇を収録。
『月曜物語』は、「最後の授業」等、六篇を収録。

原作の完訳本:
『モンテ・クリスト伯』は岩波文庫ほか。
『学問のあるろばの話』の翻訳は今ではなさそう。
バルザックの諸編は昔出ていた東京創元社のバルザック全集で読める。また『あら皮』は『「人間喜劇」セレクション』(藤原書店)の一冊として最近出た。
『モーパッサン短篇』は翻訳多数。
ミュッセの詩は今出ていない模様。
リラダンの短篇は「リイルアダン短篇集」が岩波文庫から上下で出ている。
『風車小屋だより』『月曜物語』は岩波文庫等。

表紙絵:
コロー「マンテの首寺院」

読書のことば:
学問のない人間は、剣を持たない兵士、雨の降らない畑のようなものだ。それは車輪のない車、ペンを持たない書記のようなものである。神様も、ろばの頭は、お好きでない。(アブラハム・ア・サンタ・マリア)

月報:
「フランス語の美しさ」、菱山修三
「小説『巌窟王』と英雄ナポレオン」、大島利治
あじわいのあることば デュマ バルザック ドーデ ミュッセ モーパッサン
「フランス人かたぎ」、深作光貞

「フランス4編」第22巻

山内義雄編
昭和39年12月20日、第4回配本
494頁
内容:


 『家なき子』は孤児のレミが、ビリタス親方の一座に加わり、猿のジョリクールや犬のカーピらとともに巡業する。親を訪ねて。子供向きの再話であるから省略はやむを得ない。しかしこの『家なき子』ではそれが大きい。大人になって知った完訳はかなりの長編なのである。だからしょうがないが。

 同じ作者による『家なき娘』は個人的に思い出が深い。親に死なれ孤児となったペリーヌがめくらの祖父の経営する工場へ行き、自分の孫と知らない祖父を助け尽くす。これはアメリカ篇の『小公女』でも述べたように少女は一人前に振舞い、自分の役割を果たす。だからペリーヌは印象深い。
この『家なき娘』は当時から好きになり、この文学全集全体の中でも特に好きな作品だった。

 ボードレールの詩が何篇か選ばれている。この全集で読んだ詩ほどには、大人になってから読んだ詩集は、感銘を受けることができなった。詩は子供の感受性に訴える力が強いのか。

 『昆虫記』は6つの話が収められている。

 『ルコック探偵』は、Monsieur Lecoqでなく『河畔の悲劇』の再話が入っている。そのため自分はルコック物ではこの作品が一番好きである。

原作の映画化:
ここでは『家なき娘』の映画について語りたい。これの日本での映画化である。『愛の町』という題名で昭和3年に田阪具隆監督によって映画化(無声映画)されている。記録に残っている限り田坂監督の最も古い映画である。
ペリーヌにはなんと夏川静江。あの『小島の春』の夏川静江の少女時代の出演作なのである。
実はこの映画、フィルムセンターで観た。見始めるまでは『家なき娘』とは全く知らなかった。始まってまもなく『家なき娘』の映画化とわかった。自分の映画経験のうち特に記憶の残る一つであった。

原作の完訳本:
『家なき子』はちくま文庫。
『家なき娘』は岩波文庫。上に書いたようにこの作品気に入ってたから、完訳本が欲しかった。仏語は読めないので、英訳本を買おうかと思っていた。その時、岩波文庫で再版された。
ボードレール詩集は各種文庫から。
『昆虫記』は集英社文庫。
ルコック探偵ものは訳に恵まれていない。全くないわけでないが、『河畔の悲劇』は戦前の改造社の全集しかなく、完訳かどうか定かではない。英訳本を入手した。

表紙絵:
ルノワール『舟遊びの人たちの昼食』(一部)

読書のことば:
精神にとっての読書は、身体にとっての体操である。(R・スティール)
書物は、それを通して世界を観察する眼鏡である。(フォイエルバッハ)

月報:
「本を読む楽しみ」堀秀彦
「フランスの学校教育」近藤矩子
偉大なこん虫学者 ファーブルのかくれた話
「パリ あれこれ」村上菊一郎

「フランス5編」第23巻

石川湧編
昭和40年7月20日、第11回配本
494頁
内容:


 ヴェルヌの作品のうち『十五少年漂流記』は我国で名高い。明治時代の森田思軒の訳以来、児童向き全集の定番であった。しかし世界的にみるとヴェルヌの中で特に読まれているわけでない。 むしろこの全集当時、比較的注目度が低かった『地底旅行』が最近訳も多い。『十五少年漂流記』も今後とも読まれ続けて欲しい。
フィリップ短篇では「箱車のハイキング」「すねたジュリイ」を収録。
『ポールとビルジニイ』は大人になってから完訳を読もうと思ってもなかなか入手できなかった。確か岩波文庫だったと思うが古本でようやく手に入れて読んだ。

原作の完訳本:
ヴェルヌの諸作品は文庫本でも抄訳が多かったが、最近は創元推理文庫などで完訳が読めるようになった。
フィリップの『小さな町で』はみすず書房など。
『ポールとヴィルジニー』は光文社古典新訳文庫。

原作の映画化:
『八十日間世界一周』は1956年の米映画、ディヴィッド・ニーヴン主演。
『海底二万里』はディズニーの1954年の『海底二万哩』。

表紙絵:
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」

読書のことば:
文学、それは絵画である。つまり一面において絵画であり、鏡である。それは情熱であり、表現であり、鋭い批判であり、教訓であり、また一種のドキュメントである。(ドストエフスキイ)

月報:
「ベルヌの夢私の夢」、日下実男
「3か月もあるフランスの夏休み」、小野吉郎
ジュール・ベルヌ、ルイ・フィリップ かくれた話
「すくすくのびる"水田文庫"」、指方竜二

「フランス6編」第24巻

新庄嘉章編
昭和41年9月20日、第25回配本
502頁
内容:


ルパン物は、『奇巌城』のほか、短篇「ルパンの脱獄」「赤いマフラー」「白鳥の女王」が収録されている。
他の諸編も有名な作品。(この項のちに補筆)

原作の完訳本:
ルパンは翻訳多数。『博物誌』は新潮文庫、岩波文庫等。『にんじん』も各種文庫。
ヴェルレーヌの詩も多くの文庫で読める。『青い鳥』『狭き門』も翻訳多数。

表紙絵:
ゴーガン「白い馬」

読書のことば:
書物は青年には食物となり、老人には娯楽となる。富めるときは装飾となり、苦しいときには、慰めとなる。(キケロ)

月報:
「少年時代の読書」、山内義雄
育ちゆく生物観察 山形県大井沢校
アンドレ・ジイド ジュール・ルナール こぼればなし
「時間いっぱい遊ぼう! フランスの子どものしつけ」、小野吉郎

「フランス編7」第25巻

宮崎嶺雄編
昭和42年8月20日、第36回配本
497頁
内容:


 『ライオンのめがね』は動物の王者ライオンが歳をとって目が良く見えなくなり、その地位の確保が心配になる。たまたま人間から手に入れためがねをかけると良く見えるようになり、再び自信を取り戻す。ただしそのめがねを無くしてしまう。手下の動物たちに捜すように命じる。年老いたライオンの侍従の虎はなんとか自分がライオンにとってかわろうとする。再びめがねは見つかりライオンの地位は安泰となる。

 同じ作者による『ばらいろ島』はパリの少年チフェルナンが嫌な学校からばらいろ島という所にある「理想的」な学校へ行くことになる。しかし自分の家族や友達のことを考えるとパリの生活も忘れられない。最後には家族や友達も連れてこられてハッピーになるという話である。どこかにユートピアがあるという発想はやはり現代の作品でない気がしてしまう。(1924年作)

 このヴィルドラックという作者は少なくとも現代の日本ではほとんど忘れられている存在ではないかと思うが、古い映画ファンなら知っているフランスの名画『商船テナシチー』の原作者のようだ。

 『海の義賊』(1900年)は個人的にとりわけ思い入れが深い。作者はベルネード、通俗的な冒険小説の類を色々書いたようだ。この作品は海洋冒険小説というべきもので実際の人物、フランスの私掠船(国から敵(ここではイギリス)に対して戦闘を認められた海賊船)の実在の船長シュルクーフを主人公にしている。

戦前の映画でエロール・フリン主演の「シー・ホーク」というのがあったが、ああいう感じである。本全集「南欧編2」に入っている『銀の島』にも通じるものがある。
これが読みたくて以前公立の図書館から取り寄せて購入前に本篇を読んだ。更にちゃんとした翻訳が出ていないかと捜し、戦前出た改造社の「世界大衆文学全集」の古本(昭和4年発行)を入手したことがある。もっともこの戦前本も抄訳のようだ。イギリスの手先の邪悪なインド人など「今日の人権意識にてらして・・・」云々の観点からは問題がつけられるかもしれないが、冒険小説らしい小説として、読まずに済ますのはもったいない作品である。

 フランスの詩人3人の数編の詩が載せられている。

 『ジャン=クリストフ』はあの長篇を子供向きに再話したものである。ベートーヴェンを彷彿させるドイツ生まれの音楽家がフランスやイタリア生まれの恋人や友人と交わり、悩みのなかで成長していく教養小説である。全訳はこれまで2回読んでいる。今回この抄訳を読んでむしろ感心した。最初に全訳を読んだのは中学生のときである。その時はともかくあっという間に読んだ記憶がある。早く読めたので良く覚えているのである。比較的最近に読み直す機会があった。そのときは色々気になる部分が多く余り楽しめなかった。やはりこの小説は若い時に読むべき作品ではないか。

 これは当然ながら抄訳なので、女性との交流とか作者の主張を無闇に多く感じた全訳と違い、主人公クリストフの成長の上での悩みの問題などがかえって鮮明になっているような気がした。再話が成功していると思った。

原作の完訳本:
『ジャン=クリストフ』新潮文庫、岩波文庫など

表紙絵:
ドラクロワ『天使とヤコブの組み打ち』

読書のことば:
書物は一回読めば、その役目が終わるものでない。再読され、愛読され、はなしがたい愛着をおぼえるようになるところに、つきない価値がある。(ラスキン)

月報:
「戦争のころの読書」、星新一
「二十世紀に輝ける偉大なる星 ロマン=ロラン」、高田博厚
「世界の有名な海賊たち」、川崎竹一
「『愛の書』の著者(ビルドラックのこと)」、石邨幹子

「フランス編8」第26巻

大佛次郎編
昭和43年10月20日、第50回配本
497頁
内容:


 『デブの国ノッポの国』は
 モリエールの短編は戯曲「タルチュフ」「町人貴族」を散文化したもの。

 アナトール・フランスの『少年少女』は
 『黄色い部屋』は推理小説の古典として名高い。ガストン・ルルーは今ならミュージカル化によって圧倒的に名高い『オペラ座の怪人』を入れていただろう。
 『シラノ=ド=ベルジュラック』は

 巻の最後に「少年少女のためのフランス文学の歩み」(梅田晴夫)が載っている。

原作の完訳本:


表紙絵:
ミレー「落ち穂拾い」

読書のことば:
まず、いちばん良い本を読め、でないと、ぜんぜんそれを読む機会がないかもしれないから。(ソーロー)
良書は友だちの中の最良の友である。現在も、そしてまた永久に変わるところがない。(タッパー)

月報:
「ふたつの作品」井上靖
「フランスの国旗」谷野英雄
「じぶんを知ること」石川湧


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「ドイツ編1」第27巻

高橋健二編
昭和40年4月20日、第8回配本
493頁
内容:


 『ほら男爵の冒険』は誰でも知っている名だろう。ただし読んでいる人はどの位いるのか。本当に面白く痛快という言葉があてはまる例。
 『ウィリアム・テル』はシラーの戯曲『ヴィルヘルム・テル』の散文化。子供の頭の上の林檎、以上に知らない人が多そう。

 グリム童話は、「白雪姫」「赤ずきん」や「ヘンゼルとグレーテル」等、八編を収録。
 『君よ知るや南の国』はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』からミニヨンの挿話を抜き出したもの。
 『くるみ割り人形』はホフマンの中で特に傑作とも思えないが、チャイコフスキーのバレエ及びその音楽が有名すぎるから人口に膾炙している。

原作の完訳本:
『ほら男爵の冒険』は岩波文庫。『ヴィルヘルム・テル』も岩波文庫等。
 グリム童話は翻訳多数。
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』も岩波文庫等。
『くるみ割り人形とねずみの王様』は光文社古典新訳文庫や河出文庫等。


表紙絵:
ルーベンス「芸術家のむす子たち」

読書のことば:
悪書は、いくら少なく読んでも、少なすぎるということはない。良書は、いくら多く読んでも、多すぎるということはない。(ショーペンハウエル)

月報:
「ほら」、徳川夢声
「<ドイツのミュンヘンにある>国際青少年図書館」、木村直司
ホフマンとゲーテのかくれた話
「テル劇場をたずねて」、前原寿

「ドイツ編2」第28巻

相良守峯篇
昭和43年3月20日、第43回配本
498頁
内容:


 『隊商』は、アラビアの砂漠で出くわした商人たちが互いに話す挿話からなっており、千夜一夜風の作品である。ドイツの作者によるが内容は中東になっている。

 『水晶』は、シュティフターの『石さまざま』の中から、とりわけ有名な、氷河に迷い込んだ子供たちの話をとっている。

 『影をなくした男』は、自分の影を悪魔に売った若いペーターの話で、ゲーテのファウストからバルザックのあら皮など多くの類似した話を思い出させる。

 『たのしき放浪児』は、アイヒェンドルフによる、庭番出身の若い男のイタリアへ向かう放浪記であり、いかにもドイツ・ロマン派といった設定の物語である。

 ハイネの詩が数編、訳されている。

 『ファルーン鉱山』は、船乗りエーリスが故郷へ帰ると母が死んでおり、悲嘆にくれる彼は不思議な老人の言によりファルーン鉱山へ向かう。そこで幻想的な体験をする。

 『ゴッケル物語』は、老貴族ゴッケルとその妻、娘を中心とする童話的な話である。娘が人形を欲しがったために、万能の指環を騙し取られる。そのため娘をゴッケルは激しく責める。「物質的な欲望に負けてはいけない」という意図かもしれないが、指環によって若返り豪奢な王侯になれるからで、それを逃したことを悔やんでいるのであれば、娘と同様ではないか。鶏が望ましく描かれている。ゴッケルという主人公の名やガッケライアという娘の名も鶏の鳴き声からとってきたらしい。(岩波文庫の注)

 『愛の一家』は、ドイツの音楽家の一家を描いた家庭小説。こういう家庭を舞台にした、特に児童にも読まれている作品では、ほかに「若草物語」などがあるが、「若草物語」は姉妹を中心としているのに対し、「愛の一家」では両親と子供たちの間が良く描かれている。

ともかく読んで感じるのは、親、特に父親の権威である。戦後は親の権威がなくなったと言われてきた、既にそういう戦前との比較をする時代でもなくなっているが、親の権威が低下することがあっても上がるような話は聞かない。それでは戦前は父親がしっかりしていたのだろうか。そう思わない。父親は偉いものだという社会の通念(だけでなく制度的にも保障されていた)に乗っかって威張っていただけではないか。それだから戦後になって社会通念や制度が変わると日本の男はだめぶりの本質を曝すようになった。これは戦後だめになったのでなく、元々そうだったのである。

 閑話休題でこの本に戻ると、この父親という人間、またそのやっていること、全面的に賛同できないが、それでも子供たちに対し信念を持って一人の人間として指導している。こういう態度は感心した次第である。

原作の完訳本:
『隊商』高橋健二訳、岩波文庫
『水晶、他三編−石さまざま』岩波文庫
『影をなくした男』岩波文庫
『愉しき放浪児』岩波文庫
『ホフマン短篇臭』岩波文庫
『ゴッケル物語』岩波文庫
『愛の一家』は、本全集のような全集物が盛んに出版されていた時期には収録定番作品であったが、いずれも少年向きの全集で完訳であったか定かでない。

表紙絵:
「ブロンドの髪の毛の少年」ホルバイン

読書のことば:
なんでもいいから本を買いたまえ。買って部屋に積んでおけば、読書の雰囲気が作り出せる。外面的のことだがこれは大切なことだ。(ベネット)

月報:
「少年時代の読書の思い出」、芥川也寸志
「ドイツ博物館」、青木国夫
「ハウフとハイネの逸話」、植田敏郎

「ドイツ編3」第29巻

手塚富雄篇
昭和41年8月20日、第24回配本
501頁
内容:

 『アルプスの少女』は、ハイジの物語
 『沈鐘』は、湖に沈んだ釣鐘を巡る戯曲の散文化
 『人形使いのポーレ』『みずうみ』は、
 『フラウ=ゾルゲ』は、

原作の完訳本:
『アルプスの少女』は角川文庫など。
『沈鐘』は岩波文庫など。最近はあまり翻訳されていないようだ。
シュトルムの短篇は各種文庫。
メーリケは詩集が三修社から出ている。
フラウ=ゾルゲ』は、『憂愁夫人』として岩波文庫から出ている。

表紙絵:
ボッティチェリ「聖母子と小さいヨハネ」

読書のことば:
良い本を読むためには悪い本を読まないことだ。そのためには、読まない技術がたいへん必要だ。読まない技術というのは、一時的に人着のある本を手にとらないことだ。おろか者のために書く著書が、つねに広い読者層を持つのだということを覚えておくがいい。(ショーペンハウエル)

月報:
「少女時代の読書」、野上彌生子
「アルプスと世界の小説」、近藤等
ハウプトマンの シュトルムの かくれたはなし
「ドイツの教育としつけ」、菅井深恵子

「ドイツ編4」第30巻

高橋義孝篇
昭和42年9月20日、第37回配本
497頁
内容:

 『悪童物語』は、いたずら坊主を描いた小説でかつて児童文学の定番の一であった。今ではアゴタ・クリストフの『悪童日記』と勘違いされるかもしれない。面白い話でこれからも読まれて欲しい。
 『アルト=ハイデルベルク』は、ハイデルベルクを舞台に遊学している王子と村娘のロマンス。戯曲で知られているが、その戯曲も元は小説だったらしい。個人的には昔角川文庫で、小説の本作品を読んだから、散文の方が馴染みやすい。
 『レアンダー童話』は、
 『ファウスト』は、第一部の再話。
 『クォ・ヴァディス』は、ネロ時代のローマを舞台に、キリスト教徒の男女間の恋愛などを含むロマン。

原作の完訳本:
『悪童物語』は岩波文庫など。
『アルト=ハイデルベルク』は岩波文庫など。絶版が多い。
『レアンダー童話』は岩波少年文庫。
『ファウスト』は翻訳多数。
『クォ・ヴァディス』は、岩波文庫。

表紙絵:
デューラー「ホルツシューア像」

読書のことば:
初めてすぐれた本を読んだ時は、あたかも新しい友をえたように思われる。かつて読んだ本をふたたび手にした時は、旧友にめぐり会うかの感がある。(ゴールドスミス)

月報:
「わたしの教訓」、江上トミ
「ハイデルベルクをたずねて」、篠弘
「西洋の甲冑」、森口多里
こぼればなし(もっと光を!、シェンキービチとローマ)
「ライン川の伝説」、植田敏郎

「ドイツ編5」第31巻

国松孝二篇
昭和41年3月20日、第19回配本
494頁
内容:

 『みつばちマーヤの冒険』は、若い蜜蜂マーヤの冒険譚。ところでリムスキー・コルサコフの有名曲に「くまん蜂の飛行」がある。あの曲を聞く度に蜜蜂マーヤを思い出していた。しかしこの物語にもあるように蜜蜂と熊蜂は敵同士なのである。大人になって読み返して改めて知った。
 『ウィーンの老音楽師』は、辻音楽師になっている老人の若き日の思い出、恋愛などを綴る。

 『車輪の下』は、田舎の秀才ハンスの栄光と転落といえば簡単すぎるか。大人に押しつぶされていく若い魂の悩み。
 『兄と妹』は、罪人の子として孤児になった幼い兄と妹の苦労話。
 『メトロポリス』は、フリッツ・ラングの無声映画が有名。この原作者ヘルボウはラングの奥さんだそうだ。未来都市メトロポリスを舞台にした空想科学小説。

原作の完訳本:
『みつばちマーヤの冒険』岩波文庫
『ウィーンの老音楽師』は『ウィーンの辻音楽師』の題で岩波文庫
『車輪の下』翻訳多数
『兄と妹』は戦時中に元となった翻訳が主婦の友社から出ているようだ。入手不可能。
『メトロポリス』中公文庫

表紙絵:
ロイスダール「オランダの風景」

読書のことば:
年をとればとるほど、気にいるようになるならば、それは良い書物であるたしかなしるしである。(リヒテンベルク)

月報:
「子どもの夢と未来」、相沢次郎
「ドイツの子どもたち」、木村直司
ヘルマン・ヘッセのかくれたはなし
りっぱなことば ヘルマン・ヘッセ グリルパルツェル
「みつばちの世界」、古川晴男

「ドイツ編6」第32巻

植田敏郎篇
昭和40年12月20日、第16回配本
494頁
内容:

 『バンビ』は、ディズニーの漫画映画でお馴染み。
 『めくらのジェロニモ』旅音楽師の兄弟二人。弟が盲のジェロニモである。誤解が生じて気まずくなったが、最後に・・。
 この巻は子供の時に読んだが、その中でもこの短篇はよく覚えている。自分に弟がいるせいかどうか、印象深い作品であった。
 『チャペック短篇』は、「長い長いお医者さんの話」「郵便屋さんの話」「長い長いおまわりさんの話」を収録。面白い楽しい諸編。
 『飛ぶ教室』は、男の子たちの学園生活を描いた文学として『クオレ』と双璧ではないか。
 『点子ちゃんとアントン』は、文字とおり少年少女を主人公とした話なのであるが犯罪に巻き込まれるなど、変わった不思議な物語。
 それにしても、ここに収められた話以外も含め、ケストナーの小説はディズニーの映画を思い出させるのだが。雰囲気が似ている。
 
原作の完訳本:
『バンビ』岩波少年文庫。
『めくらのジェロニモとその兄』は岩波文庫の「花・死人に口なし」に所収。
『チャペック短篇』は岩波少年文庫。
『飛ぶ教室』は翻訳多数。
『点子ちゃんとアントン』は岩波少年文庫。

表紙絵:
アンリ・ルソー「カーニバルの夜」

読書のことば:
ひとりともしびのもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなうなぐさむわざなれ。(吉田兼好)

月報:
「ロシアの古典に読みふけった少女時代」、テレシコワ
「子ども好きのケストナー」、高橋健二
「動物と植物が好きだったチャペック」、栗栖継
ドイツ文学史地図


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「ソビエト編1」第33巻

原卓也篇
昭和40年5月20日、第9回配本
494頁
内容:

 『隊長ブーリバ』は、古強者のコサックのブーリバを主人公にしたコサックとポーランドの戦いが主な筋。息子二人、特に弟の運命は記憶に残る。
 『外套』は、さえない官吏アカーキー・アカーキエヴィチの外套を巡る、ロシヤ文学リアリズムの出発点。
 『せむしの子馬』は、イワンとせむしだが特別な子馬の物語。
 『ルスランとリュドミーラ』は姫様を助けに行く勇士の物語。
 『スペードの女王』は、野望に燃えた青年の顛末。
 『キリストのヨルカに召された少年』は、『マッチ売りの少女』の少年版。ドストエフスキー『作家の日記』に入っている。
 『孤児ネルリ』は文豪の長編『虐げられた人々』のうち、哀れな孤児ネルリを中心した話の抜粋。
 
原作の完訳本:
『隊長ブーリバ』は、潮出版社等。
『外套』は翻訳多数。
『せむしの子馬』は、やはりというか現在の岩波少年文庫などは題名を変えている。論創社からはこの題名で出ている。少し嬉しかった。
『ルスランとリュドミーラ』は河出のプーシキン全集第一巻でしか読めないのか。
『スペードの女王』は「ベールキン物語」に入っており、各種文庫に。
『キリストのヨルカに召された少年』は、福武文庫から出ていた「ドストエフスキイ後期短篇集」、あとは『作家の日記』をちくま文庫または文豪の全集で。
『孤児ネルリ』は『虐げられた人々』を読めばよい。新潮文庫等で出ている。

表紙絵:
シャガール「セロひき」

読書のことば:
ひとりともしびのもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなうなぐさむわざなれ。(吉田兼好)

月報:
「私と読書」、清水慶子
「ソビエトの子どもたち」、斎 正子
ゴーゴリ、プーシキン、ドストエフスキイ こぼれ話
「島じまに本をくばる文化船ひまわり号」、阿部熊雄

「ソビエト編2」第34巻

米川正夫篇
昭和43年9月20日、第49回配本
497頁
内容:

 『コーカサスのとりこ』は、カフカス地方で韃靼人の捕虜となった若い将校と少女の物語。
 『トルストイ民話』は、「イワンのばか」「人はなんで生きるか」「人にはどれだけの土地がいるか」の三篇を含む。
 『カチューシャ物語』は、『復活』の再話。
 『猟人日記』はプロローグのほか、八つの挿話を収録。
 『アファナーシェフ童話集』は、
 『罪と罰』は、言うまでもなかろう。
 
原作の完訳本:
『コーカサスのとりこ』は、光文社古典新訳文庫等。
『トルストイ民話』は岩波文庫等。
『復活』は、新潮文庫等。
『猟人日記』は、新潮文庫等。
『アファナーシェフ童話集』は岩波文庫等。
『罪と罰』は、翻訳多数。

表紙絵:
「ラベンナの聖ピターレ寺のモザイク」

読書のことば:
読書を愛するということは、たいくつな時間を歓喜の時間と交換することだ。(モンテスキュー)

月報:
「読書との出会い」石黒修
おとぎの国ソーニシコ

「ソビエト編3」第35巻

袋一平編
昭和43年2月20日、第42回配本
497頁
内容:


 『金どけい』は主人公の浮浪児ペーチカが金時計を盗み、それをなんとかして自分のものとするためかえって色々苦労す様が描かれている。少年院に入ってからの黒人少年の友情といい、少し説教的な感じが強くするのは、こちらが大人になってしまったからか。

 ゴーリキーからの短編ではやはりどろぼうのチェルカッシュの「冒険」を描いた話が特に心に残っているか。イゼルギリ婆さんの物語る超自然な男の話も悪くない。
 『父と子』は久しぶりに読み直す機会を得た。以前完訳で読んでいる。ツルゲーネフは好きな作家なのだが、この『父と子』はその中でもあまり面白くなかった記憶があった。今回この抄訳で読んで印象が少し変わった。とかく主人公バザーロフがニヒリストという点が強調されるが、主義者というそういう思想的な面からより、このバザーロフの個人的な性格が問題ではないかと思ってしまった次第。

 チェーホフの短編では犬のタシタンカその他の花費が収録されている。

 『チムールとその隊員』は1940年に発表され、ソ連全体の若者に影響を与えたらしい。銃後で、今の言葉で言えばボランティアに励むチムールとその仲間、彼に色々助けてもらう少女ジェーニャ、その姉でチムールを誤解しているオリガなどが登場人物である。本全集のソビエト篇4に収録されている『若き親衛隊』同様、ソ連崩壊後、どの程度読まれているのかと思ってしまう。
 正直な主人公と、ひがんでいるばかりの同僚、後者が起こそうとした犯罪を食い止める話の『信号』は、ガルシンの中でも『赤い花』と同じくらい有名であろう。

 『少女ベーラ』はレールモントフの『現代の英雄』の中で、ベーラに関する部分の訳である。

原作の完訳本:
ゴーリキー短編、岩波文庫など
『父と子』新潮文庫
チェーホフ短編、ちくま文庫など
『信号』岩波文庫
『現代の英雄』岩波文庫

表紙絵:
シニャック『コンカルノー港』

読書のことば:
読書の習慣は、まざりもののない、ゆいいつの楽しみである。その楽しみたるや、他のすべての楽しみが色あせたのちまで続く楽しみである。(トロロープ)

月報:
「新しい時代におくる」、松本七郎
「バレリーナへの道」、松山樹子
チェーホフ名言集

「ソビエト編4」第36巻

和久利誓一編
昭和41年6月20日、第22回配本
493頁
内容:

 『偉大なる王』は満州を舞台にした王という虎の一生を描く動物文学。
『十二月物語』は『森は生きている』で知られるシンデレラ劇を散文にしたもの。
『白いむく犬』はちょっと『家なき子』のような旅芸人の設定、短編だが完訳でもこんなものだろうか。
第二次世界大戦でドイツ軍と戦う少年少女を描いた『若き親衛隊』はこれから新訳が出ることがあるだろうか、そもそも今でも読まれているのだろうか。あまりソビエト的というか。
 解説を読むと現在ではこのままでは出せない記述(ソビエト賛美の類)が目立つ。それだけに価値があるとも言える。

原作の完訳本:
『偉大なる王』中公文庫、平成元年
『森は生きている』小学館等
『エセーニン詩集』弥生書房、昭和43年
『若き親衛隊』三笠書房、昭和27年

表紙絵:
ピカソ「大ぐらいの子」

読書のことば:
文章の表現には、ひとつのことばしかない。それを生きいきさせるには、ひとつの動詞しかない。それを修飾するには、ひとつの形容詞しかない。
そのために、われわれは、そのひとつひとつの最上のことばを、さがさなければならない。(モーパッサン)

月報:
「少年時代の読書」徳川義親
「ソビエトの児童読物」内田莉莎子
「マルシャークの思い出」金子健
「ソビエトの人形」原卓也
「とらはとらでも」中村栄

「ソビエト編5」第37巻

福井研介編
昭和42年3月20日、第31回配本
497頁
内容:

 この巻に収められた話の多くは懐かしい。いずれもこの全集と限らず児童向き文学全集の定番であった。ソ連時代の作品である。
それゆえ今でも読まれているかどうか心配になってくる。
案の定というか、Amazonで検索したら完訳本どころか児童向きの本でさえほとんど現役でない。『ネズナイカ』でさえである。『石の花』はあるようだが。

この中で『サーカスのゴムまり小僧』は知らない作品であった。解説によればこれだけ帝政時代の作品だそうだ。文字通りサーカスの少年の話。

『ビーチャの学校生活』は少年の学園生活、『ネズナイカ』は知らないのに知っているふりをする男の子ネズナイカ(わかってない子くらいの意味)を主人公にした楽しい話。
『石の花』は、石工の主人公が山奥の女王を訪ねる。ソ連の総天然色の映画は有名だった。幻想的で綺麗である。一見の価値はある。
『町から来た少女』は、第二次世界大戦でドイツが進攻し、みなしごとなった少女が苦労する話。

表紙絵:
ブリウゲル「氷すべり」

読書のことば:
良書は友だちの中の最良の友である。現在も、そしてまた永久に変わるところがない。(タッパー)

読書のことば:
「少女時代の読書」、勅使河原霞
「トルストイ展とわたし」、原卓也
バショーフとボロンコーワのこぼれ話
日ソ合作映画 小さい逃亡者

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「北欧篇1」第38巻

矢崎源九郎篇
昭和39年10月20日、第2回配本
494頁
内容:


 『アンデルセン童話』は、「人魚姫」「みにくいあひるの子」「マッチ売りの少女」など8編を収録。
 『絵のない絵本』は十二夜を選んで収録。
 『即興詩人』は主人公の青年と歌姫アヌンチアタのロマンスを中心とした話。大人になってから読んだ完訳よりこの子供の時の再話の方がよほど感銘した。
 
 『日なたが丘の少女』は、もみの丘の少年トルビョルンと日向が丘に住む少女シンネーベの純愛物語。
対する二軒の家の恋物語は『嵐が丘』にも通じる。ドイツ編に収録されている『憂愁夫人(フラウ・ゾルゲ)』も同様だ。
この日向が丘の少女は、全集の中でもよく記憶しており、思い出深い話。
原題は「シンネーベ・ソルバッケン」という女主人公の名であるが、「日向が丘の少女」という伝統ある邦題でこれからも読み継がれて欲しい。

 『ペール・ギュント』はおよそ優等生とは程遠い青年ペール・ギュントの冒険譚。なんといってもグリーグの音楽が有名。

原作の完訳本:
『アンデルセン童話』は、翻訳多数。
『絵のない絵本』は、新潮文庫等。
『即興詩人』は、岩波文庫。森鴎外訳は文語で現代人には読みにくい。

『日向が丘の少女』の完訳本捜しは苦労した。同じ作者の『アルネ』なら岩波文庫に入っている。しかしかつての児童文学の定番の一であった本書はあまり評価されていないのか、完訳がなかなか見つからない。

検索すると、河出書房の世界文学全集(グリーン版でない)第3期15巻(昭和32年)「ヤコブセン、ビョルンソン、ハンセン」に「日向丘の少女」が入っている。
この全集は黒い箱に入った菊判の本でたまに古本屋で見かける。自分も『緑のハインリヒ』をこの全集で買った。しかしこのお目当ての集は見かけたことない。

英訳でも捜そうかと思っていたら、新潮社世界文学全集第27巻北欧三人集(ハムスン、ビョルンソン、ラゲルレフ)に『シンネエヴェ・ソルバッケン』という原題で入っていた。
この新潮社の全集は昭和3年の発売。改造社の円本と並び文学全集の走りとなった昭和初期の文学全集である。よほど出たせいか、今でも古本で売られている。
正直、原典訳か完訳かも定かでない。ともかくこれで読んだが、新訳を出してほしいものだ。

『ペール・ギュント』もなかなか見つからず、グリーグの音楽「ペール・ギュント」は大抵組曲だが、全曲が出てそれに訳がついていた。
普通の本では、講談社世界文学全集第24巻「イプセン、ストリンドベリ」集(昭和48年)に入っていた。これには自分の好きなストリンドベリのあまり見かけない訳も入っていて得した感がある。

表紙絵:
ゴッホ『はね橋』

読書のことば:
すべて良い書物を読むことは、過去のもっともすぐれた人びとと、話をするようなものだ。(デカルト)
良い読者が、良い書物を作る。(エマーソン)

月報:
「世界の一流作品を読もう」中野好夫
「北ヨーロッパの子どもたち」荒正人
りっぱなことば(イプセン、アンデルセン)
「天使のような母」平林広人
「学校図書館の現状とその将来」深川恒喜

「北欧篇2」第39巻

山室静篇
昭和42年11月20日、第39回配本
497頁
内容:


 『ニルスのふしぎな旅』は、いたずら者のニルスが小人にされてしまい、渡り鳥に乗ってスウェーデンを旅し、成長していくという子供向きの話、原作はかなり長いことで知られる。スウェーデンの子供達はやはり再話でなく全部読むのが普通なのだろうか。

 キビはわが国ではそれほどではないがフィンランドでは有名でヘルシンキ駅近くに彼の像があるそうだ。『七人の兄弟』というと有名なミュージカル映画を思い出してしまうが、もちろん話は違う。個性の違う兄弟達の農場を中心とした生き方の話である。

 ストリンドベリといえば深刻な劇を想い出すが、ここでは童話が選ばれている。音楽に関係した話が多く、彼は音楽好きであったのだろうか。

 トペリウスの『星のひとみ』(ここでは星むすめと訳されている)は世界の童話中最も有名なものの一つであろう。読み直したら、これって小川未明の『赤いろうそくと人魚』に似ていると思った。

 北欧神話はオーディンを中心とした話が訳されており、知恵比べとかルーン文字の発明、トールの巨人国での競争などが読める。

 バイキング物語では英雄フリチオフの冒険譚などが訳されている。
 巻末には山室静による「北欧文学の歩み」が載っている。

原作の完訳本:
『ニルスのふしぎな旅』偕成社文庫
トペリウス童話は岩波少年文庫が完訳か(未確認)
北欧神話では『エッダ、サガ』(ちくま文庫)を元にしているのか。
他のものはちょっと不明である。

表紙絵:
バン・ダイク『チャールズ一世の肖像』

読書のことば:
機会を待つのはばかげている。読書の時間というのは、今なのであって、これからではない。きょう読める本をあすまでのばすな。(ホルブック・ジャクソン)

月報:
「少年時代の読書の思い出」、高崎正秀
「北欧三国をたずねて」、荒正人
こぼればなし(子ども好きなラーゲルレーブ、トペリウスと父親)
「バイキングは海の勇者か、海賊か?」、別枝達夫

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「南欧編1」第40巻

杉浦明平編
昭和40年2月20日、第6回配本
493頁
内容:


いずれも有名な作品ばかり。
実はこの巻、初期の配本なのだが子供時代には買わなかった。もちろんお金に余裕がなかったせいである。
しかしそれ以外にも、この巻の『クオレ』を既に別の本で買っていたから。後、ピノキオもドン・キホーテもそれなりのイメージがあって、相対的に買おうとする気が低かったせいもあろう。

クオレは同じ小学館から出ていた「少年少女世界名作文学全集」の一巻として買っていて読んでいた。こちらの全集は各巻に基本的に一作づつ入っている。だからクオレ一作だけ。
全集名がまぎわらしいが、このサイトで解説している方は「全集」という言葉が入ってなく、その代わり「の」が入っている。
少年少女世界名作文学全集のクオレの巻の挿絵は岩崎ちひろだった。懐かしい挿絵である。

クオレは学校生活ものとして優れているだけでなく「毎月のお話」はどれも感慨深い話ばかり。
この中で父親でない者の看護をする「父の看護」は小学校の国語の教科書に出ていた。 「父の看護」という邦訳名は教科書のそれである。しかし大抵は「ちゃんの看護」となっている。この少年少女世界の名作文学もそうである。最初に覚えた「父の看護」が自分にとって一番しっくりする。
他の全集の話になってしまったが、この作品への自分の思い出である。

ところで毎月のお話は大人になってから読み返してみると愛国主義的なものがほとんどである。戦後愛国的が保守的につながり、更に好戦的につながるような発想の時期があった。
しかしそういうイデオロギーは子供の頃、当たり前だが何も感じず、興味深い話として読んだ。文学をイデオロギーで裁断するようなことはやめて欲しい。

原作の完訳本:
『ピノキオ』は『ピノッキオの冒険』として光文社古典新訳文庫。
『ドン・キホーテ』岩波文庫など。
『クオレ』新潮文庫等。

表紙絵:
ラファエロ『美しい庭師の聖母』

読書のことば:
あまりにくだらないものが読まれている。それでは時をむだにして、なにも得るところがない。ほんとうはいつでもただ、賛嘆されているものを読むべきである。(ゲーテ)

月報:
「読書欲と食欲」串田孫一
「イタリアの学校教育」菊野正隆
セルバンテスのりっぱなことば
「クオレを書いたデ・アミーチスの幼年時代」岩崎純孝
「PINOCCHIOとピノチヨ」石田アヤ
「スペイン雑記」藤本四八

「南欧編2」第41巻

岩崎純孝編
昭和43年7月20日、第47回配本
497頁
内容:


 ヨーロッパ文学の中でも相対的になじみが薄い地域の南欧、といっても具体的にはイタリアとスペインである。
また巻末に南欧文学史(「南欧文学の歩み」岩崎純孝)が載っている。

 『チョンドリーノ』は小さなきょうだいが虫、特に末っ子の男の子が蟻になってしまい、昆虫の世界を巡る冒険をする物語。単に御伽噺でなく、虫の世界、博物学の勉強ができる仕組みになっている。王様になった主人公が戦争を仕掛け、そのため自国に多大な損害を与えてしまう、といった教訓的な要素もある。

 『デカメロン』はあの百の物語のうち、子供向きに再話したものを幾つか選んである。
 ベッケルの短編は『音楽師ペレス』と鹿を追う親子の話『白いしか』の二編が収められている。

 『銀の島』は、地中海あたりにあるポルトガル領の島を舞台に、銀山で財を成したイタリア人の主人公(語り手)、男装した謎の少女や支配者の軍隊、海賊など海洋冒険小説に要求される面白さは十分充たしている。作者のファンチュリはイタリア人で、解説によれば『リザ=ベッタ』という少女小説が最高傑作らしい。だったらそちらを載せればいいと思うが、男子向きの作品も入れようということでこちらを選んだのだろう。

原作の完訳本:
『デカメロン』ちくま文庫、講談社学芸文庫
『緑の瞳ほか』ベッケル短編集、岩波文庫
バンバとファンチュリの作品はちょっと捜したがみつかららい。今は読めないようだ。

表紙絵:
エル・グレコ『スペインの殉教』

読書のことば:
書物はこれをひもとかない時は、木片にひとしい。(イギリスのことわざ)
いい本を読むとき、私は三千年も生きられたらと思う。(エマーソン)

月報:
「少女時代の読書 さめざめと泣いた本」、村岡花子
「イタリアの旅」、石井好子
「アリ・あり・蟻 ありの飼い方」、近藤正樹


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「東洋篇1」第42巻

魚返善雄編
昭和42年4月20日発行、第32回配本
498頁
内容:

 『三国志』は豪傑英雄の活躍する有名な作品で言うまでもなかろう。
 『ルバイヤート』は詩。儚い人生、酒を飲もうといった印象があったが、ここでは酒の詩はとっていない。数編収録。
 『大勇士ルスタム』は、「王書」という題で訳されているシャーナーメから。
 『韓国短編集』では有名な「春香伝」と民話8編。日本と類似のものがある。
 『ジャータカ物語』は、
 『シャクンタラー』は、
 この巻では、中国、ペルシャ、韓国、インドと多くの国の文学が収められているため、解説も四人の分担執筆である。

原作の完訳本:
『三国志』岩波文庫、平凡社など。
『ルバイヤート』岩波文庫。
「シャーナーメ」は王書として岩波文庫が出ているが、全部の訳ではない。他に東洋文庫。
『春香伝』は岩波文庫、他の短編は
『ジャータカ物語』は、「ジャータカ全集」という10巻本が春秋社から出ている。
『シャクンタラー』は、岩波文庫。

表紙絵:
作者不詳/イラン『シャーナーメ・王室の供宴』

読書のことば:
未だ見ざる書を読むは、良友を得るが如し。すでに身たる書を読むは、故人に会うが如し。(顔之推)

月報:
「少年時代の読書」、藤浦洸
「新しいイラン」、ササン・ジャパン
「文字の誕生 象形文字と表音文字の起こり」、藤堂明保
「お釈迦さまの生まれた聖地 美しきルンビニ園をたずねて」、中山富士

「東洋篇2」第43巻

奥野信太郎編
昭和42年10月20日発行、第38回配本
498頁
内容:

 『水滸傳』は梁山泊にたむろする豪傑英雄の話。
 『故事成語・笑話集』は故事として3つ、笑話集は18篇を収める。
 『中国現代短編集』は魯迅の3作、葉紹鈞の2作、老舎を1作収録。
 『神仙譚』では
 『中国詩選』は、
 『剪燈新話』は、
 『聊斎志異』は、

原作の完訳本:
 『水滸傳』は岩波文庫、平凡社等。
 『神仙譚』は平凡社の 『列仙伝・神仙伝』。
 『剪燈新話』は明治書院の中国古典小説選、東洋文庫。
 『聊斎志異』は岩波文庫等。

表紙絵:
作者不詳/中国『永楽宮の壁画』

読書のことば:
読書の技術とは書物の中に改めて人生を発見し、書物のおかげで人生をいっそうよく理解する技術である。(A・モロワ)

月報:
「少年のころ読んだ本」、末廣恭雄
「中国の小説と怪異」、駒田信二
「世界一の無用の長物」、万里の長城
魯迅のことば

「東洋篇3」第44巻

伊藤貴麿編
昭和40年8月20日発行、第12回配本
493頁
内容:

 『西遊記』は誰でも知っている。
 『古典短編集』は、「雨窓き(奇に欠)枕集」より2篇「今古奇観」より3篇「棠陰比事」より8篇。
 『宝のひょうたん』は、アラジンの魔法のランプの現代中国版。ランプの代わりに瓢箪。
 『現代短編集』では、秦兆陽、白小文、郭沫若の3人の短編を収める。
 巻末の文学史は『中国文学の歩み』となっていて、東洋篇といえ専ら中国を対象。

原作の完訳本:
『西遊記』は岩波文庫ほか。
『宝のひょうたん』は懐かしい作品だが、今は翻訳されていない模様。

表紙絵:
徽宗『桃鳩図』

読書のことば:
「学べば、すなわち固ならず」「少にして学ばざれば、長じて無能なり」(孔子)

月報:
「貴重な糧」、森田たま
「中国の子ども」、さねとうけいしゅう
世界で親しまれている中国料理のことばから
「読書への近道 森の中の有三文庫」、柳内達雄


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「日本篇1」第45巻

高崎正秀編
昭和41年5月20日発行、第21回配本
493頁
内容:

『古事記』は国造り以下有名な話を収める。
『風土記』は各風土記から話を収録。『日本霊異記』は6篇を収録。
今昔物語・宇治拾遺物語・十訓抄・古今著聞集 『御伽草子』は、
 
原作の完訳本:
『古事記』は学研から「現代語古事記」
『風土記』は角川ソフィア文庫など。
『日本霊異記』は講談社学術文庫など。
『竹取物語』は角川ソフィア文庫など。
『今昔物語』は大部であり、比較的話が多く収められているのは福永武彦訳のちくま文庫。
『宇治拾遺物語』は小学館の新編日本古典文学全集、新潮日本古典集成あたりか。
『十訓抄』は、小学館の新編日本古典文学全集、『古今著聞集』は新潮日本古典集成。
『御伽草子』は、新潮日本古典集成。
『平家物語』は、河出書房の「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」の新訳が評判良いようだ。

表紙絵:
薬師寺の吉祥天像

読書のことば:
すべての芸術は、喜びにささげられたものである。人間を幸福にすることにもまして、高く、真剣な課題は存在しない。(シラー)

月報:
「かぐや姫の昇天」、永井路子
「神話と民族」、藤沢衛彦
「義経とジンギスカン」、樋口清之
「源平時代のよろいとかぶと」、笹間良彦

「日本篇2」第46巻

福田清人編
昭和40年10月20日発行、第14回配本
493頁
内容:

『太閤記』は、言わずもがな。秀吉は最後の方で天皇を前に朝鮮、明を日本の領土にしたいと野心を述べる。天皇は「なんと大きな野心を持っている男だろう。」と感心する。(p.183)
今、こういう記述はできるのだろうか。もちろん夢の大きさに感心しているのである。他国への侵略とか後代の価値判断でしか解釈できない風潮はやめて欲しい。
『謡曲狂言物語』は、謡曲から9篇、狂言から4篇選んでいる。
『太平記』は、後醍醐天皇に忠誠を誓う楠木正成の活躍など。実は日本編では、この巻のみ子供時代に読んだ。だから『太平記』は懐かしい物語である。『椿説弓張月』もそう。
『醒睡笑』は、笑い話の掌篇。
『椿説弓張月』は、鎮西八郎為朝が活躍する冒険譚。『太平記』のところで述べたように子供時代に親しんだため、八犬伝よりこちらに関心がある。
 
原作の完訳本:
『太閤記』は小説家の翻案が有名過ぎて、原本もよく知らないが、岩波の新日本古典文学大系 に入っている。
『謡曲』『狂言』は小学館の新編日本古典文学全集などで読める。
『太平記』は小学館の新編日本古典文学全集、新潮日本古典集成。
『醒睡笑』は、講談社学術文庫から、全部ではないが出ている。
『椿説弓張月』は、学研M文庫から翻訳が出ていた。筑摩の古典文学全集の翻訳本を持っているが、これも品切れ。

表紙絵:
平治物語絵巻

読書のことば:
すぐれた文学とは、・・・その作品に作者の深い人間愛が、あらわれているものだ。もしも作者が人を愛せぬならば、人はどうして、その作者の作品を愛読しえようか。(カーネギー)

月報:
「なつかしい父の思い出」、由起しげこ
武士の生活、桑田忠親
滝沢馬琴のかくれた話
「城のせつびと守り方」、笹間良彦

「日本篇3」第47巻

富田恒雄編
昭和41年10月20日発行、第26回配本
501頁
内容:

『義経記』は義経が奥州で最期を遂げるまでを描く。
『西鶴名作集』は、色々な作品の中から11の話を選んでいる。
『日本芝居物語』は「曽我物語」や「寺子屋」など7つの有名な話を収録。
『徒然草』や『方丈記』は有名である。
『しみのすみか』は、失敗談のような笑い話的、教訓的な掌篇を集めた読み物。
『雨月物語』は幻想的、超自然的な話。
『東海道中膝栗毛』弥次郎兵衛、北八を知らない日本人はいないだろう。
 
原作の完訳本:
『義経記』は河出文庫のほか、小学館の新編日本古典文学全集など。
西鶴は小学館の新編日本古典文学全集、河出文庫で出ている話もある。
『曾我物語』など小学館の新編日本古典文学全集。
『徒然草』『方丈記』『雨月物語』は、翻訳多数。
『しみのすみか』は読めない模様。
『東海道中膝栗毛』は、小学館の新編日本古典文学全集。

表紙絵:
広重「大はしあたけの夕立」

読書のことば:
ゆっくり読むこと、これはあらゆる読書に適用される技術である。ゆっくり読んでいられない本があるかも知れぬ。しかしそれは読む必要のない書物だ。(フラア)

月報:
「一つの源義経の悲劇」、今東光
「判官びいき」、角川源義
「忠」、樋口清之
「歌舞伎あれこれ」、大木豊
「東西怪異譚 日本のおばけと西洋のおばけ」、川崎竹一

「日本篇4」第48巻

浜田廣介編
昭和42年1月20日発行、第29回配本
497頁
内容:

 この少年少女世界の名作文学の日本篇では全5巻のうち、3巻を江戸以前の古典に充てている。そのため明治以降の近代・現代篇は2巻しかない。
そのうち最終巻には「次郎物語」と「路傍の石」の2篇しか入っていない。そのあおりをくらってというか、この日本篇4には近代以降の代表的作家を全部引き受ける形となった。

非常に盛り沢山感がある点ではこの全集でも随一ではなかろうか。多くの作品は短篇ないし掌篇である。しかしどうしてもページ数の制約がある。「みなさんに読みやすいように一部をやさしくしました」と注のある作が結構ある。
どの巻にも言えるが、もし今編集し直すとしたら、収録作品はかなり異なってくるだろう。正直作家の名前は知っていても作品は知らないならまだしも、今ではほとんど忘れられている作家もある。もちろん知名度の高低と作品の出来は別である。

この巻で目に付くのは押川春浪の『海底軍艦』であろう。短くしてもそれなりの長さがある。これをわざわざ収録したのは、東宝の特撮映画『海底軍艦』(昭和38年)のせいか。同映画は原作を押川春浪としているものの、内容は別物である。
それでもこの巻が出された頃には東宝の特撮映画が最近の映画であったわけで、少年たちを意識して入れたのであろう。挿絵が東宝映画の海底軍艦に似せてあるのは微笑ましい。
『海底軍艦』は大人になってから三一書房の「少年小説大系」で省略なしで読んだ。それでも子供の時に触れていたらより興味を持って読めたに違いない。
子供時代に読めたこの全集の日本篇は、第2(太閤記ほか)だけである。この巻(に限らず)を子供の時に読めたら随分世界が豊かになっただろう。

表紙絵:
岸田劉生「麗子像」

読書のことば:
ひとりともしびのもとに、文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなうなぐさむわざなれ。(吉田兼好)

月報:
「少女時代の読書」、吉屋信子
「博物館明治村をたずねて」、指方竜二
夏目漱石 二葉亭四迷 こぼればなし
「父のことば」、岡村鈴江
「父と英語」、夏目伸六

「日本篇5」第49巻

昭和43年6月20日発行、第46回配本
497頁
内容:

 この少年少女世界の名作文学の日本篇のうち、最終巻の本巻は『次郎物語』の第一部と『路傍の石』を全篇収めてある。
日本篇第4巻でも述べたように、その巻では多くの作品を収録するため近代日本の話とはいえ、縮尺せざるを得ない物が多かった。それに比べると本館の2篇は別格である。

 なぜ別格扱いになったのか。それは当時読むべき少年少女文学の代表作品と見られていたからである。それではなぜ代表作品と見られていたのか。
以下は全く私の解釈である。

 次郎も『路傍の石』の主人公吾一も幼いうちから苦労する。次郎は里子に出される。吾一は成績優秀で士族という出自ながら、家が貧しく上級学校へ進学できず、昨日まで同じ学級の子がいるうちへ丁稚に出される。
 このような逆境にもめげず生きていく少年の姿を描き、年少の読者層に手本を示そうという意図が大人にあったろう。しかしながら、明治時代を舞台としており、現代では共感を得にくい点がある。
 次郎が里子に出されるのは母親が孟母三遷の教えを信じているからである。家が貧しいから丁稚に出される。いずれもあまりに古い設定で、現代ではなかろう。

 この巻に限った話でない。本『少年少女世界の名作文学』は、監修、編集に携わった人は明治生まれが多いであろう。出版が始まった昭和39年に還暦を迎えた人は、明治37年生まれである。
 そのためこの全集には、図式的過ぎるとに思われるかもしれないが、明治のロマンといったものが感じられる。戦前の訳を底本にして書き直したものが多い。これは全体として評価したい。現代であればもっと公平、人権の重視とか偏見の回避が優先される。
 しかし子供時代には夢を与える、希望を持たせることが何より重要な気がする。子供時代にはこのような全集に接したい。

 この巻の話も監修者や編集者にはそれほど遠い物語ではなかったろう。しかし半世紀が閲している。

   舞台や設定は現代とは異なっていても、そこに名作として訴えかけるものがあれば面白く読める。そうでなければ外国の古い作品など読まない。
ところが本巻は日本の作品である。それだからこそ、時代のずれを余計に感じさせてしまう。その辺りの原因によって定番と言えなくなっているのか。

収録の2作が以前ほど読まれていない、というのは事実であろう。しかし今でも読む価値はあると思う。

表紙絵:
横山大観「無我」

読書のことば:
青年は、老人の書を閉じて、まず青年の書を読むべきである。(島崎藤村)

月報:
「いつまでも心に残るある母と子」、高橋健二
「いまはむかし子どものあそび」、川上澄生
小学一年生国語教科書のうつり変わり


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「世界民話伝説集」第50巻

関敬吾編
昭和43年4月20日発行、第44回配本
498頁
内容:

感想みたようなもの:
 元から知っていた話はドイツ編の「ふしぎなふえの男」(ハーメルンの笛吹き)など少数で、大部分は初めて読んだ作品。
 選定されている国ではヨーロッパは英独仏にソ連である。エジプト、アフリカ、トルコが選ばれていて、中近東諸国、西アジアが入っていない、これら諸国が注目されるのは昭和40年代後半の石油危機以降である。アジアでは隣の朝鮮(半島の民族という意味)や東南アジアが入っていない。というか、アジアで入っているのは、日本を除けば中国、インド、トルコである。

  ないものねだりして欠点を暴いているのではない。この当時の日本人の関心の対象が伺われて興味深い。現在選んだらどんな国が入るのだろうか。個々人が考える楽しみがある。
  現在の価値観に照らして問題云々が昔の出版だからどうしても出てくる。アメリカ編のはしがきに「北米大陸は、今からおよそ5百年ほど前に、コロンブスによって発見された土地です」とあるが、こういう言い方は結構前からしないのではないか。また所収されている「はとが人となかよしになったわけ」という話では黒んぼうの召使が黒人であるがゆえ醜い存在として描かれている。当時としてはいささかも差別的な意識はなかったと思うが、今なら問題視する人も多いだろう。
 元の作品の全訳等は不明である。もし岩波文庫等でわかったらupしたい。

表紙絵:
ジェリコー「近衛騎兵士官」

読書のことば:
悪しきものを読まぬことは、良きものを読むための条件である。人生は長く、時と力には限界がある。(ショーペンハウエル)

月報:
「動物と民話」、戸川幸夫
「私の郷土の巨人伝説」、中島恵子
少年少女名言集


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