ユダヤ人問題によせて
『作家の日記』に見るユダヤ人論
ドストエフスキーはユダヤ人を嫌っていた。小説等、著作の端々でユダヤ人を侮蔑した表現に出くわす。
まとまったユダヤ人論は『作家の日記』1877年3月の第2章にある。
ドストエフスキーは自分宛に来たユダヤ人読者からの手紙を紹介する。以下のような内容である。
『日記』にいつもユダヤ人に対する憎悪がある。なぜ搾取者一般でなくジュー(ユダヤ人への蔑称)に反対するのか。ユダヤ人は国家からの権利を制限されている。ロシヤ人の富農、高利貸し、酒販売人等のどこがユダヤ人の同業者に勝っているのか。ユダヤ人にも貧しい者が多い。ユダヤ民族四千年の歴史も知らない。
この意見に対して、まずドストエフスキーは文章の攻撃さ、激昂さに怒っている。これこそユダヤ人がロシヤ人をどう見ているかを語っていると。ロシヤ人、ユダヤ人の離反は双方の原因がある。
ユダヤ人ほど自分たちがいかに苦難の歴史を歩んできたかを声高に主張する民族はいない。ロシヤの百姓等庶民の方がよほど重荷を背負っている。ユダヤ人の苦しみを察せというが、ユダヤ人はロシヤの民衆の農奴制などの苦しみを気の毒と思っていたのか。
ユダヤ人は自らを受難者と言う癖に、解放者が現れ民衆を自由にすると、真っ先に飛びつき弱点を利用したのは誰か(農奴解放などロシヤの近代化でユダヤ人が利益を得たと言いたいのであろう)。アメリカのニュースによれば解放された数百万の黒人にユダヤ人が襲い掛かり、先祖代々の金貸し業で経験不足や弱点につけこみ、思うまま掌握した。こういう記事をドストエフスキーは予想していたという。更にリトアニアでのユダヤ人の現地住民への迫害記事を紹介する。このような例だけでなく、その気になりさえすれば、ユダヤ人の記事はいくらも見つけ出せる。これらがユダヤ人に対する憎悪から来ているというのなら、社会挙げての憎悪には何かの理由があるはずである。
ドストエフスキーはユダヤ人のことによく知らないにしても、ただ一つはっきり知っている事実があるという。それはロシヤ人にはユダヤ人に対する偏見にとらわれた、先験的な、曖昧な、宗教的な憎悪は存在しない、ということである。軽蔑しなかったし、除外もしなかった。自分たちに理解できない祈祷を見ても妙だと思わなかった。あいつらはああいう連中なのだと平然と称賛するような態度でそばを通り過ぎていた。ユダヤ人の方がロシヤ人を避け、見下すばかりの態度だった。
もしロシヤに住む、ロシヤ人とユダヤ人の人口比率が逆だったら、ロシヤ人はどんな目に会うだろう。
ユダヤ人は自分たちの国家を持たずに四千年も経てきた。以前からの住民への憎悪は驚くべきばかりである。長い間、ユダヤ人として団結してきた。国家内国家(国家の中にあって国家の決まり等に従わない組織)となった。その理念は何か。世の中にはユダヤ人だけが存在している。将来救世主が現れ、救済してくれる。
ユダヤ人が、自分たちが昔から持っているものに加え、一般の権利も獲得するとなれば、ユダヤ人は、より多く持つことにならないか。(この辺り、マルクスの1844年の有名な論文の冒頭の引用を思い出す)
ユダヤ人は次の様に反論するだろう。自分たちは西欧では非難されない。向こうでは産業が発達しているからだ。ロシヤは遅れているからユダヤ人批判が多いのではないかと。これに対しドストエフスキーは、ロシヤはより儲けが多いという意味でユダヤ人にとっておいしい地ではないかと言う。ロシヤの辺境の人々に尋ねてみよ、何がユダヤ人を動かしているのか。無慈悲という答えが返ってくるであろう。西欧で唯物主義(経済第一主義の意であろう)となっているのもユダヤ人の寄与がある。
ユダヤ人のほとんどが貧乏であるという反論も、それはユダヤ人の搾取行為が不自然で、罰を受けている証拠である。
結びでドストエフスキーは今までと反対の意見を言い始める。ユダヤ人にも同等の権利を与えるべきだ。(既に多く持っているかもしれないが、と断る)それがキリスト教の教え、原理だからだ。我が国の農村共同体がぐらつくようなことになったらユダヤ人が押しかけてきて心配だが。ユダヤ人の権利拡張にロシヤ側には何も障碍はない。ユダヤ人側に比較にならないほど多くの障碍がある。うぬぼれと傲慢は非常に嫌なユダヤ人の性格の特徴である。この後また初めの方のようにユダヤ人の被害妄想、ロシヤ人への非難、ロシヤ人の寛大さなどが並べられる。ユダヤ人にもっと寛大で公平であって欲しいと頼む。ユダヤ人のロシヤ人憎悪が単なる偏見であって、それが解消されれば、我々は直ちに兄弟愛で結ばれる。お互い助け合って、国のため協力することを祈る。双方の側からの友愛的な団結が必要であると述べる。この辺りドストエフスキーの理想であった全人類の同胞的な団結につなげている。
以上は『作家の日記』1877年3月の第2章の自分なりの要約である。言葉などは新潮社版全集第18巻、1980年、川端香男里訳、p.355~を基本的に利用した。
続く第3章では、少女からの手紙によって知ったミンスク(当時はロシヤ帝国の都市)の、民衆に尽くし愛されたユダヤ人医師の紹介がある。この医師のように凡ての人々に愛された存在をドストエフスキーは理想の例と述べる。
ドストエフスキーの論は反論になっているか
ドストエフスキーのユダヤ人論、なぜドストエフスキーがユダヤ人を嫌うか(本人はそう思っていないようだが)には賛成できなくても、論理を追えるだろうか。
ドストエフスキー言わんとするところは、ユダヤ人が嫌われてもそれだけの理由がある、とのようである。ユダヤ人を軽蔑しているのではない。事実を述べているだけだと。
和解のために双方の歩み寄りを何度も述べているが、ドストエフスキーの文を読む限り、ロシヤ人の寛容さは限りなく、問題はユダヤ人側にあるようである。
正直今回の読み直しで、ユダヤ人攻撃などよりも、周知とは言えロシヤ人全面礼賛の方がよほどおかしいと思った。ユダヤ人嫌いも元から知っているし他の文学者にも多くいる。ドストエフスキーほどロシヤを称賛してやまない文学者がいたであろうか。
ドストエフスキー以外で、反ユダヤ人論を展開している書のうち、有名なものはヒトラーの『わが闘争』(1925~1926)であろう。その第11章「民族と人種」(『わが闘争』上、角川文庫、昭和48年)で、ヒトラーはいかにユダヤ人が劣等民族か延々と論じる。ここの議論はユダヤ人が劣等であると前提している。その意見に同調する者を対象として書いているのである。前提を共有しない者は対象外である。(脱線だが同書にヒトラーの日本人論もあって興味を引く)
ドストエフスキーの論はユダヤ人からの疑問に答えるという形式である。だからヒトラーの書と違い、自分の反対者に読ませるつもりで書いたはずである。しかしながらその論の進め方はおかしい。内容でなく、書き方が説得的でない。
カラマーゾフのユダヤ人記述
次に、創作の中でのユダヤ人の言及の例を出したい。いくつも見つかるが、カラマーゾフにする。第4部第11編「兄イワン」第3節「小悪魔」の中にあるリーザとアリョーシャの会話である。
「・・・ねえ、アリョーシャ、ユダヤ人は過越の祭に子供たちをさらって、斬り殺すっていうけど、あれは本当なの?」
「知りませんね」
「あたし、ある本で、どこかの裁判のことを読んだのよ。ユダヤ人が四歳の男の子を、最初まず両手の指を全部斬りおとして、それから壁にはりつけにしたんですって。釘で打ちつけて、はりつけにしたのね。そのあと法廷で、子供はすぐに死んだ、四時間後に、と陳述しているのよ。これでも、すぐ(傍点付)にですってさ!その子供が呻きつづけ、唸りつづけている間、ユダヤ人は突っ立て、見とれていたそうよ。すてきだわ!」
「すてき?」
「すてきよ。あたし時々、その子をはりつけにしたのはあたし自身なんだって考えてみるの。子供がぶらさがって呻いているのに、あたしはその正面に坐って、パイナップルの砂糖漬を食べるんだわ。あたし、パイナップルの砂糖漬が大好きなんですもの。あなたも好き?」
アリョーシャは何も言わずに、彼女を見つめた。蒼白な黄ばんだ彼女の顔がふいにゆがみ、目が燃えあがった。
「ねえ、あたしこのユダヤ人の話を読んだあと、夜どおし涙を流してふるえていたわ。小さな子供が泣き叫んで呻いているのを想像しながら、(だって、四歳の子供なら、わかるはずよ)、一方では砂糖漬のことが頭を去らないのよ。(以下略)」
カラマーゾフの兄弟、下、新潮文庫、昭和53年、原卓也訳、p.144~145)
ここを読むとリーザの異常な妄想の方に関心が行ってしまうかもしれない。
ホラー映画を観ている女の子のようなのか、ドストエフスキーにありがちのマゾの変形なのか、それは置いておいて、ユダヤ人のところである。
リーザが最初に述べた過越祭云々のところは、当時のロシヤの民衆が信じていた話なのであろうか。そうならロシヤの民衆のユダヤ人観が現れている。
アリョーシャの答えも気になる。一笑に付すとかで否定するのではない。知らないといえば確かに知らないわけだが、知らないと言うだけで、否定していないのである。リーザのような子供ではない。民衆の噂話を信じるような男ではないはずである。『白痴』に出てくる、大昔の坊主が被る悪行は、昔の話だから驚かない。これは同時代のユダヤ人について言っているのである。この辺り、どう解すべきかよく分からない。
続く子供への蛮行は、裁判とあるから実際の話と思われる。こういうユダヤ人がいたのは事実なのであろう。ここの挿話はリーザの人間性を表わしており、それにユダヤ人の蛮行を使っている。こういう残酷な所業をする人間はどこにでもおり、ユダヤ人を使ったことはユダヤ人に対する見方を反映しているのだろう。
文学上のユダヤ人観
ドストエフスキーがユダヤ人を嫌っていたのは確かであり、現代の人権感覚からして問題がある。ただヨーロッパではユダヤ人嫌いは珍しくなかった。
最も有名な作品を挙げれば、かなり古いがシェイクスピアの『ヴェニスの商人』(16世紀末)であろう。登場人物シャイロックはまさにヨーロッパ人のユダヤ人観の典型である。血も涙もない高利貸しと職業まで一致している。もしヴェニスの商人がドイツの作品だったら、戦後は上演禁止になったのは間違いない。
有名な事件では、ゾラが関係したドレフュス事件(1894以降)がある。軍人ドレフュスはユダヤ人であるが故に偏見から有罪になった。ゾラの抗議もすぐに受け入れられず、ゾラは罪を問われ亡命を余儀なくされた。
孫引きだが、中村健之介『永遠のドストエフスキー』中公新書、2004の「あとがきにかえて」にある仏、英の反ユダヤ主義を引用する。フランスに関しては、メールマン『巨匠たちの聖痕』の訳者、内田樹のあとがきに次の様にある。
「〔フランスにおいて〕反ユダヤ主義であることは、いささかも恥ずべき選択ではなかった。反ユダヤ主義が貶下的含意をもつレッテルとなったのは、ヒトラー以後である。19世紀末から30年代まで、反ユダヤ主義はルナン、ゴビノー、ドリュモン、バレス、モーラスら一流の知識人によって高らかに奉持された格式高い世界観であった。当時、ブルジョア社会の頽廃と文明の危機に悲憤慷慨する憂国的・革命的知識人の多くは胸を張って反ユダヤ主義の信仰告白を行なったのである。」
(中村『永遠のドストエフスキー』p.278~279にある引用)
その後、中村は「メールマンは、ブランショ、ラカン、ジロトー、ジッドという四人のフランスの「ビッグ・フォー」がいかに深く反ユダヤ主義とかかわり、またヒトラー以後はいかにそれを深く隠したかを語っている。」(同書、p.279)と書いている。
イギリスに関しては、ジョージ・オーウェルの『英国におけるユダヤ人差別』を引用している。
「英文学にはチョーサー以来ユダヤ人差別の傾向がはっきり存在するのであって、わざわざ机の前を離れて本を開けてみなくても、「もし今書かれていたら」ユダヤ人差別の烙印を押されるにちがいない文章は、シェイクスピア、スモレット、サッカレー、バーナード・ショー、H・G・ウェルズ、T・S・エリオット、オルダス・ハックスリーその他さまざまな作家の作品から、すぐに実例を思い出せるのだ。ヒトラー以前の英国作家で、はっきりユダヤ人擁護に努力した人物として即座に思いつくのは、わずかにチャールズ・ディケンズとチャールズ・リードだけである。・・・チェスタトンはそのエッセイや物語の中で、浅薄きわまる口実のもとに延々とユダヤ人を攻撃したのに、だからといって窮地に立つこともなかった。それどころか、チェスタトンは英国の文壇でももっとも広い尊敬をあつめた人物の一人だったのである。」
(小野寺健訳、中村『永遠のドストエフスキー』p.282に引用)
上のオーウェルの文で面白いのは「今書かれていたら」ユダヤ人差別の烙印を押されるに違いない云々の所で、ドストエフスキーは大昔に書いたのにユダヤ人差別の烙印を押されているのである。(ドストエフスキーの差別を弁護しようとしているのではない)
歴史上の反ユダヤ主義
歴史上ではロシヤ(に限らず)のポグロム(ユダヤ人への迫害)が頻繫に起こった。あれほどドストエフスキーがロシヤ人はユダヤ人に寛容な民族だと言っているものの、他国と同様に弾圧があった。ポグロムというロシヤ語が使われていることからも伺える。
ミュージカルになった『屋根の上のヴァイオリン弾き』で最後に主人公らが故郷を追われるのはロシヤのポグロムのせいである。主人公は娘のうち上二人の結婚を祝福するにもかかわらず、三女の結婚は反対する。初めてあの映画を観た大昔は意味が分からなかった。相手がロシヤ人だったからである。ロシヤ人とユダヤ人の断絶はそれほど深かった。
第二次世界大戦の経験など周知であるし、専門的知識はないのでここまでにする。
差別感情の普遍性
ヨーロッパのユダヤ人差別を、他人事のように考えるわけにはいかない。よそ者を嫌うなどは極めて普遍的な感情である。日本で言えば、朝鮮人、日清戦争以後の中国人、また同じ日本人でも部落民に対して、蔑視、差別していた。
なおドストエフスキーやヨーロッパのユダヤ人差別はやや異なった点がある。ヨーロッパのユダヤ人は、普通の市民より金を持っている、さらに金融支配している、経済を牛耳っている、市民を搾取している、という印象を持たれていた。ユダヤ人に対していわゆるルサンチマンに近い感情があった。
日本の場合は、弱い者いじめと同様である。自分が偉くもないのに、偉いと見なされる陣営(多数派)に属しているので、弱い連中をいじめ内心の劣等感を癒しているというか。
生まれつきでは偏見、差別感情があるのが普通だろう。解消するために教育が必要である。教育によって、また教養をつけ広い目で世界を理解できるようにすべきである。などと素人の議論を続けていてもしょうがないので止める。
ドストエフスキーのユダヤ人観をどう見るか
ドストエフスキーはユダヤ人を嫌っていた。その事実を知って人道的な内容を持つ小説に感動していた者が驚く場合があるらしい。
自分は少しも驚かない。ドストエフスキーは好き嫌いが激しく、愛国主義者でポーランド人、ドイツ人、フランス人など外国人を嫌っていた。そのドストエフスキーがもしユダヤ人を嫌っていなかったなら、それこそ驚きである。当時のヨーロッパでユダヤ人忌避の風潮は普通だった。その時代に生きたドストエフスキーならユダヤ人を嫌って当然過ぎるように思えてくる。
ドストエフスキーがドイツ人やポーランド人等をどれだけ悪く言っても何も言われず、ユダヤ人だけに言われているのは、我々が第二次世界大戦後に生きているからである。
ドストエフスキーは、普通の意味でいい人間だったと思えない。死後明らかになったストラーホフの手紙にあるドストエフスキー像はストラーホフの主観である。しかし他人にそう思わせた面があった。
ドストエフスキーは立派な人格、公平な見方、平和主義者として記憶されているのではない。ドストエフスキーの小説が与える感動は、人種差別のあるなしとは無関係である。別の次元の話である。
ドストエフスキーは19世紀に生きた西洋人である。有色人種などまともな人間視していなかったろう。もしドストエフスキーが長生きして、日露戦争を見ていたら、どれだけ日本人に罵詈雑言を吐いたか想像もつかない。幸いに我々は聞かされなくてすんだ。
上に要約した『作家の日記』のドストエフスキーの文章を見ても、少しも論理的にユダヤ人嫌いを説明できていない。理屈以前の信念というかキリスト教信仰と同様の次元になっている。
誰でも生きた時代や社会の制約を逃れられない。今当然視している我々の言動も、50年くらいしたら非難されるものがあるに違いない。
もちろん人種差別の禁止は普遍的で将来とも変わらないだろう。昔はいろいろな意味で「遅れていた」社会だったのである。
ドストエフスキーは優れた文学作品を創造した一方で、ユダヤ人蔑視、差別していた。こういう並行的な議論なら何も思わない。
もし次のような見解なら、検討する必要がある。
ドストエフスキーはユダヤ人を差別していたからこそ、ムイシュキンやアリョーシャを創造できた、罪と罰やカラマーゾフのような作品を書けた。ドストエフスキーの創造にとってユダヤ人差別は「本質的」な要素である、本質的に関わっているのである。著作にいくらでも見られるユダヤ人差別表現などの抹消の問題ではなく。
自分はドストエフスキーを読んでそう思わない。ただそういう見方が既にあるかもしれない。
最後にもう一度繰り返しておく。ここの記述はドストエフスキーのユダヤ人蔑視を弁護するものでない。ただ第二次世界大戦後のユダヤ人差別禁止の大勢にのり、ドストエフスキーを批判しているなら、それはユダヤ人忌避の時代にユダヤ人を差別していたのと内容は正反対だが、人としてのあり方は同じようなものではないか。サウイフモノニワタシハナリタクナイ。
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